奈良時代(710-794)に吉備真備(きびのまきび)が遣唐使(けんとうし)として唐から持ち帰ったという話がありますが、既に636年隋書・倭国伝には日本人が囲碁を好むことや、701年大宝律令・僧尼令などにも囲碁のことが記されていますので、日本への伝来はそれ以前からということになります。
「『隋書』倭国伝」
聖徳太子 ( しょうとくたいし )
その書簡を見た隋の皇帝は怒りましたが、翌年、文林郎(官職名)・裴世清(ぶんりんろう はいせいせい)を隋の使いとして日本に送っています。
裴世清(はいせいせい)が、608年日本に来ていろいろなことを調べ体験したことを記録したのが「隋書・倭国伝」です。
「倭人(日本人)は仏法を敬い、(-中略-)、囲碁、すごろく、バクチの戯を好む」と記されています。
「大宝律令・僧尼令」
701年、大宝律令(たいほうりつりょう)が定められました。
これは隋や唐のような強大な国づくりをめざし、政治、学校、土地、身分などを取り決めた法律ですが、その中の僧尼令(そうにれい)にスゴロクやバクチは禁止するが、碁琴は禁止しないという法律が決められました。碁琴の碁は、もちろん囲碁のことです。