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史上19回目の無勝負発生!

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6月28日におこなわれた第14期阿含桐山杯本戦河野臨天元秋山次郎八段
四コウ無勝負となりました。後日再戦となります。

無勝負は19回目。河野天元、秋山八段ともに初の無勝負です。
日本棋院公式棋戦は大正13年7月24日から
平成19年6月30日まで168,813局が記録されており、
約9,000局に1局の割合で発生しています。

最も無勝負が多いのは趙治勲十段で3回記録しています。

6/28阿含桐山杯本戦 河野臨天元―秋山次郎八段 無勝負  

 6月28日の河野臨天元(右)と秋山次郎八段(左)の対局は四コウ無勝負。
当日立会人の北村洋司七段(写真右端)の他、多くの棋士が検討に訪れた。

 

無勝負をめぐる伝説としては
天正10(1582)年6月、日海(後の本因坊算砂)は
織田信長の御前で日蓮宗僧侶の利玄と対局したと伝えられています。
ところが、めずらしい囲碁の形(=三コウ)ができ、
無勝負となったということです。(棋譜は現存せず)
奇しくも本能寺の変(6月2日)の前夜であり、
この事から三コウは不吉の前兆とも言われました。
※日本棋院情報会員ページ内「囲碁の歴史」より抜粋

  本因坊算砂     織田信長

 日海(にっかい)
後の本因坊算砂
(ほんいんぼうさんさ)
(1559-1623)

 

 織田信長(おだのぶなが)
(1534-1582)
囲碁好きで日海に五子の
手合だったと言われている

 

前回の無勝負は昨年の第15期竜星戦本戦・
※張栩名人―高尾紳路本因坊(三コウ)でした。
再戦で勝った張栩名人はその後勝ち進み優勝しています。※タイトルは当時

 

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