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【ニュースリリース】【訃報】呉清源九段死去 |
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大正3年、中国福建省福州市にて、呉毅の三男として生まれる。本名・呉泉。7歳のとき二人の兄とともに父より囲碁の手ほどきを受ける。 昭和3年、14歳で母、兄とともに来日、瀬越憲作七段の門に入る。 同年12月、本因坊秀哉名人の試験碁(二子)に4目勝ち、翌4年、日本棋院より飛び付き三段を認可される。同年、12勝7敗2ジゴ。 5年、四段に昇段。同年31勝6敗2ジゴ。 7年、五段に昇段、同年45勝5敗1ジゴ。 8年、木谷實五段とともに「新布石」を共同研究、秋季大手合で新布石を多用し、布石革命を起こす。同年26勝9敗3ジゴ。 9年、六段に昇段。14年、七段に昇段。17年、中原和子と結婚。10月、八段に昇段。 |
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14年から31年までの17年間で10回の打込み十番碁を打ち、8勝1敗1延期。その殆どを先相先または定先に打込んでいる。 25年、日本棋院より九段位を推戴される。 27年、台湾に招かれ「大国手」の称号を贈られる。このとき、林海峰少年(10歳。現在・名誉天元)に六子の指導碁を打つ。 33年、「第1期日本最強決定戦」8勝2敗で優勝。36年8月、交通事故に遭い足首骨折などで入院。 37年「第1期名人戦」8勝3敗1ジゴで第2位。38年「第2期名人リーグ戦」5勝3敗で第2位。39年「第3期名人リーグ戦」6勝2敗で第2位。 59年、現役引退。62年勲三等旭日中綬章受章。 平成26年7月に百寿を祝う会が行われた。 |
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