講義を始める前に
私はいつも、いきなり講義はしません。まず、子供の興味をひく話からはじめます。スポーツをはじめる前の準備体操のようなものです。題材は何でも構わないのですが、一方的にしゃべるのではなく、問い掛けたり、意見を聞いたりして会話をします。これは心と心を結ぶ大事なコミュニケーションですし、興味をひく話は子供の集中力を高める効果があり、その後の子供たちの講義を受け入れる態勢が自然ととれます。
例えば、ある幼稚園で囲碁の講義を始める前にこんな話をしました。黒板に書きながら「囲碁って何年前からやっていると思う?」
するといろいろな答えが返ってきます。
「囲碁って五千年前ぐらい前からやっていると言われているんだよ。みんな五千年ってどれくらい前かわかるかな?」
「……。」
「わからない? じゃ、みんなのお母さんはいくつ?」子供たちは口々に母親の年を答えはじめます。
「そうか、それじゃ、約30歳ということにして、おばあちゃんはいくつぐらいだ?」だんだん子供たちは興味を示してきました。
「じゃ、おばあちゃんは60歳ぐらいにしよう」
「それじゃ、おばあちゃんのお母さんは何ていうか知ってる? 知ってる子、手をあげて」いろんな声が聞こえてきます。
「ひいおばあちゃん?」
「そうだね、おばあちゃんのお母さんは、『ひいおばあちゃん』っていうんだね」
「ぼく知ってる!」「わたしも!」楽しそうに答える子供たち。
「ひいおばあちゃんは、じゃ、90歳ぐらいにしよう」
「それじゃ、ひいおばあちゃんのお母さんは何て言うかわかるかな?」
子供たちは、ひいおばあちゃんまでは聞いたことのあるものの、ひいおばあちゃんのお母さんとなると頭を抱えます。ここで一呼吸おいて、
「ひいおばあちゃんのお母さんはね……。『ひいひいおばあちゃん』っていうんだ!」子供たちはいっきに笑いだしました。さらに続いて次々にこの要領で『ひい』の数と年を増やしていきます。そしてある程度の数まできたら、
「今、ひいの数はいくつある?」
「四つ!」
「そうだね。四つで180歳ぐらいだ。180と5000ではどっちが多い? そう、5000の方が0が三つもあるね。5000の方がもっともっと多いんだ」
「それでね、先生はみんなに5000年前がどれくらい前か分かってもらおうと昨日の夜、5000までいくつ、『ひい』があるか数えたんだけど、『ひい』が百個つくおばあちゃんまでいったら先生寝てしまってね。みんな『ひい』が百個あるといくつになるか分かる?……。」
「ひいが百個あると3060歳になるんだ。それでも5000より少ないね。囲碁はそれくらい前からあるんだ、すごいねえ!」
この話は幼児に対してした話ですが、中学生には中学生に合う話、高校生には高校生に合う興味をひく話が、いくらでもあろうかと思います。身近な話、先生自身の体験談、逸話、碁盤の話等。
囲碁の歴史は古く、一般文化史と深く関っています。例えば戦国時代どんな武将達が碁を打ったとか、枕草子や源氏物語に碁のことが書きしらされていること等、話題は事欠きません。また最近ではスペースシャトル「エンデバー」宇宙飛行士の若田光一さんも碁が好きで同搭乗のダニエル・バリー飛行士と碁を打つため、シャトルに碁盤を持ち込んだ話とか、オリックス野球選手のイチローさんの趣味は囲碁と盆栽であるとか今話題の人を取り上げてもいいと思います。
囲碁の歴史の話しをしたら、囲碁ではなく逆に歴史に興味を持ち、歴史が大好きになった生徒もいます。こういう例は稀かもしれませんが、興味を持つ、好きになるというのは、たまたま、ちょっとした事が『きっかけ』となるものです。教える側として子供たちにこのような『きっかけ』に遭遇できるチャンスをより多く与えたいものです。
教え込まない
私はよく、幼稚園・保育園で幼児に教えていますので、その方法をご紹介します。とは言っても「ポンヌキゲーム」といって石を取るゲームをすることで、特別な方法がある訳ではありません。しいて言えば子供たちへ出来る限りの愛情を注ぎ、一緒に遊び楽しむことです。
初めて囲碁に挑戦する子供たちには、『囲めば石が取れる』ことだけを教えます。五分もあれば「ポンヌキゲーム」で十分、楽しんで打てるようになります。最初は石を一個取ったら勝ち、から始まって二個、三個取ったら勝ちと増やしていきます。どこへ打とうと自由にやらせる。ヘンな手を打ったとしても、アタリに気づかなくても口出しをしません。石を取る面白さを覚えた子は、自分の石が取られるのも分からないほど、夢中になって相手の石を追いかけまわします。
慣れるにしたがって、一度にまとめて二個以上の相手の石が自然と取れるようになり、また、自分の石も取られないで逃げる方法にふっと気づくようになります。取りたいと思う一心で、いつも取られる経験を重ねるうちに取る形を自然と発見していくのです。
この「自分で発見していく」ということが子供たちには大変な喜びで、益々、意欲を引き出すことになります。教える側からすれば、自分の持っている知識はすべて与えたい。早く成長して欲しいと願うのは当然のことですが、口出しをし過ぎると折角の芽をつぶしてしまいます。まず念頭に置いていただきたいのは「教え込まない」ことなのです。知識を押しつけたり、手とり足とり教えていると、人の顔色を見い見い打つようになり、そのうち嫌になって離れていってしまいます。これに気づかない先生方は失礼ながら少なくないのです。相手の気持ちを考えず教えるのは、自己満足で終わるだけで、そのあげく誰もついてこないという結果になります。
「一つ教えると、一つ興味を失う」と言った先輩の囲碁講師がいます。まさしく的を得た言葉で、教える側はじっと辛抱、我慢が必要なのです。そして、質問してきた時やここぞというタイミングを見計って自分で発見するためのヒント、アドバイスをすることが、大事です。
私は入門者にはルールを知らなくても、ゲームの面白さがすぐわかるように、囲ったら石が取れる「ポンヌキゲーム」を行なっていますが、このゲームには囲碁の重要な要素を含んでいますので、しばらくはそれを続けます。この石取りゲームでは当然アタリを発見していくことですが、キリとツナギ、シチョウ、カケ目、コウなど総ての基本がこのゲームに含まれています。楽しみながら何度も何度も繰り返すうちに、新しい発見をしていくことになり、子供達の興味を持続、意欲を引き出すことにつながるのです。
私事で恐縮ですが、下記のグラフは私自身の囲碁棋力曲線です。小学校五年(10歳)の時、碁を覚え始めました。覚えたての頃は殆ど上達していない平行線ですが、その後、一気に棋力が上がる曲線を描き、また平行線と繰り返しになっています。人によって上達度は個人差こそはあるものの、ほぼ同様な曲線を描きます。
入門してからしばらくは、意欲があっても棋力は伸びないのです。入門者が囲碁を好きになるか嫌いになるかが、この時期にほぼ決まってしまいます。この間に興味を持ち続けていくことが出来れば、何かをきっかけにポンと棋力が上がる蓄積の時期でもあるのです。何故、ポンヌキゲームをしばらく続けて教えていくのか、その理由はここにあります。
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