第三回ハンス・ピーチメモリアルトーナメント(HPM)が九月二十四・二十五日ドイツのデュッセルドルフから五十キロほどのカストロップーラウクセルで開催された。
二〇〇三年一月に海外囲碁普及の公務でグアテマラを訪問中、強盗の銃弾で帰らぬ棋士となってしまった故ピーチ六段を偲び、ドイツの子供の囲碁大会が二〇〇三年に発足した。
又今年からはドイツの青少年に碁を広める為の基金(GO4BOND)ができその組織が大会を運営することになった。この大会はピーチ氏の誕生日九月二十七日に因んで毎年九月最後の週末にドイツ各地で開催される予定となっている。
大会は小、中、高校の三名の団体戦。欧州初の学校団体戦である。団体戦の良い所はかなり弱い棋力でも選手として参加できる事。生徒の棋力は三段(日本の五段)から20級までと、まだ、かなり幅がある。今回は二十四校が参加。(一つの学校からは二グループのみ参加)
ホスト校になった高校では百名も碁を打つ生徒がいるので代表選手を選ぶのが大変なほどの盛況ぶり。 子供に碁を教えるのに熱心なハンブルグの小学校は選手以外の子供もオブザーバーとして来ていた。
私は昨年に続き二回目の参加で一年ぶりのこどもたちの成長振り上達振りに、目を見張らされた。昨年大会前夜に会場で長い金髪の美少女? が碁を打っていた。後ろから見ていると、手つきも良くかなり強そうだ。そこで、他の子に『あの女の子はどのくらい強いの?』と聞くと『女の子?』『あれは男の子だよ!』『え~??』私だけではなくドイツの人達も間違えていたから本当に美少女イヤ美少年であることに変わりはなかった。その少年(現十四歳)が今大会の最高段の三段で一番強い。
会場に集まったこどもたちの中から彼を探す。なかなか見つからない。 それもそのはず、長い髪は肩までに切られ肩幅も広くなり美少女ではなく立派な青年に変貌していた。
彼のチームはベルリンからで、彼らに碁を教えているカーリー氏の存在が大きい。東西のドイツが一緒になってからのベルリンは、貧富の差が大きく貧しいこどもたちは学校が終わると共働きの両親が多いため、外でよく遊んでいる。そこへ社会福祉的にカーリー氏は路上囲碁教室を行なっている。
ひょっとすると、こんなところから第二のハンス・ピーチが現れるのかもしれない。
しかし、物事にかなり楽感派の私でも欧米からそうたやすくプロレベルのこどもが簡単に出てくるとは思えない。
でも、世界の日本マンガブームの中で碁を楽しむ青少年は激増中だ。ドイツでもフランスに次、昨秋に『ヒカルの碁』の単行本も出版された。今まで『プロ棋士』という職業を日本国内でも理解してくれない人もいたのに、今やマンガのおかげで欧米のこどもたちから『スゴイ!』と尊敬の眼差しで見てもらえる。
ハンス君もこのこどもたちに囲まれて碁を教えたかっただろう。大会中ある先生から『西欧の碁の生徒の面倒を見てくれてありがとう』と言われた。そして、閉会式の時のこどもたちからの花のブーケと拍手に私は『又来年!』と心に誓った。 |