1924年(大正13年) 碁界合同 ~ 日本棋院設立
東京帝国ホテルにて「棋界合同協議会」が行われ、大倉喜七郎(前列左から5人目)のもと、碁界は大同団結。7月に日本棋院が産声を上げた。
前列左から田村嘉平、雁金準一、岩佐銈、本因坊秀哉、大倉喜七郎、大縄久雄、中川亀三郎、稲垣兼太郎、野沢竹朝、瀬越憲作。後列左から高部道平、光原伊太郎、小野田千代太郎、宮坂寀二、木村廣造、鈴木為次郎、加藤信、久保松勝喜代、吉田操子、喜多文子(敬称略)。
1925年(大正14年) 新会館建設
日本棋院新会館が永田町に完成した。
その後、昭和20年5月に日本棋院会館が戦火で焼失し、事務所を目黒区柿の木坂の岩本薫七段宅に移す。
昭和23(1948)年、港区芝高輪北町に新会館が完成、岩本薫が理事長に就任する。
1938年(昭和13年) 名人引退碁
本因坊秀哉名人(右)引退碁。対木谷実七段(先)五目勝ち。
川端康成「名人」のモデルとなった。
1963年(昭和38年) 初の「名人・本因坊」
第2期旧名人戦。坂田栄男(右)が藤沢秀行に勝ち、初の「名人本因坊」となる。
翌39年には29連勝、7タイトル制覇した。
1965年(昭和40年) 最年少名人
第4期旧名人戦。林海峰八段(当時)が時の第一人者・坂田を破り史上最年少名人に(23歳)。
昭和43(1968)年には本因坊も獲得し、2人目の名人・本因坊に。
1968年(昭和43年) 関西総本部落成
昭和43(1968)年4月、関西総本部新館竣工(大阪市北区西天満)。
平成17(2005)年10月、移転(大阪市北区角田町)。
平成26(2014)年7月、移転(大阪市北区茶屋町)。
1971年(昭和46年) 市ヶ谷会館落成
日本棋院東京本院が現在の市ヶ谷(千代田区五番町)に開館する。
1973年(昭和48年) 中部総本部落成
昭和48(1973)年12月20日、中部総本部新会館竣工(名古屋市東区橦木町)。
昭和49(1974)年1月5日、オープン。
1979年(昭和54年) 世界に広がる囲碁
第1回世界アマチュア選手権戦が開催される。15ヶ国が参加。1位から3位を聶衛平(現九段)ら中国勢が独占する。
日本は故・安永一、鳴海直、菊池康郎、村上文祥、今村文明、亀倉芳子の6名が参加し、村上が4位となる(敬称略)。
1983年(昭和58年) 史上初の「大三冠」
第7期棋聖戦七番勝負で趙治勲九段が6連覇中の故・藤沢秀行(当時50代)に挑戦し、3連敗後の4連勝でタイトル獲得。
大三冠(棋聖・名人・本因坊)の偉業達成。棋聖位はその後3連覇。
写真は三大タイトル(大三冠)独占し、凱旋帰国した時。曺薫鉉九段(右)も祝福。
1992年(平成4年) 名誉三冠
第17期名人戦七番勝負の最終局で小林光一名人(右)が大竹英雄九段を破りタイトル防衛。
この年は天元戦を除く6つのタイトル戦に出場。
平成2年の棋聖、4年の碁聖に続き3つ目の名誉資格を得る。
2004年(平成16年) 創立80周年
日本棋院創立80周年の記念式典。左から故・加藤正夫理事長、京都寂光寺・大川定信住職、今井敬総裁、二十四世本因坊秀芳。
2008年(平成20年) 四天王時代
第33期碁聖戦五番勝負で張栩九段(左)が山下敬吾九段に勝ち3連覇。張栩九段、山下九段、羽根直樹九段、高尾紳路九段の平成の四天王がしのぎを削る。
2013年(平成25年) 6冠達成
第37期棋聖戦七番勝負第6局(静岡県伊豆市 「 玉樟園新井 」)で井山裕太本因坊が張栩棋聖に勝ち、史上初の六冠を達成した。井山が四天王の厚い壁を破った。