「えっ! マジかよ」 トーナメント表を見ながらの村野健一のぼやきはもっともだなと思った。少年少女名人戦全国大会中学生の部、一日目。健一は4人のブロックで争われた予選リーグを3連勝で突破し、決勝トーナメントの16人に名を連ねた。トーナメントの抽籤が行われ、いきなり昨年度優勝の青島拓也とぶつかることになったのである。 「しかし、青島くんとは少年少女名人戦で打とうと約束したんじゃなかったのかな」 と、わたし。わたしは村野健一の師匠格である。 「うん、男の約束だ、でもね、決勝戦で当たる予定だったんだ。こんなところでどっちかが負けるのはもったいないよ」 健一らしい言い方だ。思ったことをすぐ口にする。わたしはふと、二カ月前の出来事を思い出した。 「小川先生、どうしたの? きょうは子供教室の日じゃないのに」 私の経営する碁会所に健一を呼んだのは、会わせたい人がいたからである。大学の囲碁部の一年先輩の榊原幸治。現在は郷里の石川の大学で教鞭をとっている。東京で学会があり、終わり次第駆けつけてくれるという。もっとも、私がぜひにと頼んだからだが。 やがて榊原は現れた。 「先輩とはあれ以来ですね」 「あれか。二十年ぶりだね。この子? 手紙に書いてあったのは」 「ええ、打ってやってくれませんか。手合は二子か三子ですが、勉強のために二子で。先輩はコーヒーですね。健一くんにはジュースをおごろう」 「小川先生、ケーキもつけてよ。腹がへっちゃった」 わたしが階下の喫茶店にコーヒーなどを取りに行っている間に、こんなやりとりがあったらしい。 榊原先輩が白を取ろうとして、 「ちがうよ、おじさん。僕が白で、おじさんが二つ置くんだ」 「あっ、そうか。きみは強いんだね」 「うん、少年少女名人戦の東京代表になったんだ」 「それは大したもんだ。中学生?」 「一年になったばかりだ」 「ところで、お客さんがいないね。いつもこうなの?」 「ふだんは知らないけど、週三回の子供教室のある日はそれなりににぎやかだよ。でもねえ、子供教室も小学四年くらいになると、ほとんどがやめちゃうんだ」 「どうして?」 「塾に行く」 「きみは塾に行かないのかい?」 「ぼくは塾に行くほど頭が悪くない、ナーンチャッテネ。それにいい中学校に行きたいとも思わなかった。区立で十分だよ。おっ、大斜できたか。おじさん結構強いね」 戻って驚いた。 「ちがうよ。健一くんが二つ置くんだ」 「えっ、するとこのおじさんは先生より強いの?」 「そう、二子でも負けるね」 「えー、世の中にそんなに強い人がいるんだ。どうもおかしいと思ったよ」 「いいんだ、いいんだ。このまま続けよう」 手合違いの碁なのに、榊原はじつに楽しそうに打ち続けた。しかし結果は明らかだった。健一の大石は両ガラミになった末、全滅した。 「やっぱり、おじさんは強いや。でも不思議だね。小川先生だって何回も東京代表になっているんだよ。その先生より強いアマチュアなんているの?」 「健一くん、世の中、上には上があるんだ。それに榊原さんはアマチュアの大会に出たことがない。だからあんまり知られてないだけなんだ」 「へー、もったいない」 にこにこして聞いていた榊原が口を開いた。 「そんなことより、もう一局打とうよ」 「えっ、いいんですか。二子? 三子?」 「二子で」 健一が二つ置いた二局目は大熱戦だった。健一が仕掛け、榊原が切り返す。商売柄、碁はいやというほど見ているが、近ごろこんなに興奮させられたことはない。常連客が何人かやってきたのも気がつかないくらいだった。彼らも少年の奮戦に見入っていた。 榊原の打ちっぷりが学生時代とは違うなと思った。榊原が関東大学リーグで圧倒的な強さを誇っていたときは厚く堅実な碁だったが、目の前の榊原はあぶない手も平気で打つし、少年の打ちすぎに調子を合わせているようなところがある。あっ、そうか。あらゆる方面から少年の力、とくに反発力を試しているのだ。つぶすチャンスが一度あったにもかかわらず、助け起こしたような手を打ったのも、少年のヨセを見たかったのだろう。 しかし実力の差はいかんともしがたく、10目の差がついて、少年は投了を告げた。 「いけない。もうこんな時間だ。6時までに帰らないと、おかあさんに怒られる。おじさん、また教えてね」 石を大急ぎで片づけると、健一は碁会所をとび出していった。 「どうでしたか、感触は」 「面白い子だねえ。きみが見込んだだけあるよ。少年少女でもいいところに行くんじゃないかな」 「きょうはゆっくりできるんでしょ。店は常連にまかせて、これからうまいものでも食いに行きませんか」 「そうしたいのはやまやまなんだが、えらい先生のお呼びがかかってね。ことわるわけにはいかないんだ。そのかわりといってはなんだけど、こんどの土・日でも、あの子を連れて金沢にこないか。もうちょっと見てみたいんだ。それに打たせたい相手もいる」 「青島拓也くんですね。彼も少年少女の代表になったと、『週刊碁』に出てましたよ」 とたんに榊原の顔がくもった。 「そうなんだが、ちょっと問題があるんだ。くわしいことは金沢で」 榊原が帰って、考えた。金沢へ行くのはいい。しかし健一の母を説得するのは至難のわざだ。さて、どうしたものか。 とにかく正直に話すしかない。善は急げだ。碁会所を定時にしめれば、健一の母のやっている飲み屋「あかね」に間に合うだろう。 店に入ると、数名の客が帰ったばかりらしく、健一の母はお銚子や皿を片づけているところだった。 「あら、小川さん。お久しぶりね。もう看板にしようと思ってたのよ」 「すこしだけいいかな。冷やで」 「はい。残っているのはおでんくらいね」 「じつは、こんどの土・日、健一くんをお借りしたいのだが」 「おことわりします」 案の定だった。怒ったような顔は相変わらず美しかった。客にずいぶん口説かれたはずだが、浮いたうわさ一つ聞かない。私の気持ちを見透かしたように続けた。 「碁と男が大嫌いなことは小川さんもご存じでしょ。きょうはホントに腹が立ったわ。時間通りに帰らないのでわけを聞いたら、小川さんのところに行ってたというのよ。そしてものすごく強い人と打ったと、得意そうにしゃべるのよ。小川さんのところは週三回という約束だったのに。腹が立って腹が立って、ビンタをお見舞いしたわ」 涙ぐんでいるようだった。おんなの涙にはどう対処していいか分からない。黙って飲むしかなかった。 「あたしも飲ませてもらうわよ。きょうはいいたいことをいいます。健一はね、とてもいい子だったの。小学校五年まではクラスで一番で、担任の先生はどんな中学でも入れるとタイコ判を押してくれたわ。でも小川さんの碁会所に行くようになって、どんどんだめになった。どうしてくれるのよ。一つのことに熱中すると、ほかのことは目に入らない。まったく、別れた亭主とそっくりだわ」 あれ、おとうさんは死んだと健一は話してくれたが。 「健一にはそういってあるのよ。ロクでもない父親がいると知ったら……。ひどい男だったわ。一度、何かの全国大会で四位に入ったの。そしたら、まわりからおだてられたのね。仕事をやめ、碁で生きていくなんていうのよ。小川さんと同じように碁会所を始めたの。借金してね。でもあの人にひとづき合いなんてできるわけがない。お客さんがこなくなって、すぐつぶれたわ。健一が赤ちゃんのころよ。離婚届を突きつけたわ。借金? あたしの親がめんどうを見てくれました」 父親の名は見当がついた。一時はアマチュア碁界で脚光を浴びかかったが、お決まりのバクチと酒で身を持ち崩したと聞いた。いまはケチなかけ碁で細々とやっているらしい。 話が変な方向へ行ってしまった。この調子では金沢行きは無理だ。それに健一の母も悪酔いしているようだ。 「分かりました。健一くんをお借りするのはあきらめます。しかし残念だな。金沢に行って、健一くんと打たせたい少年がいたのですが」 「それって、健一より強いの?」 「たぶん。昨年の少年少女の優勝者で青島拓也くんというんだ。ちょっとしたニュースになったから、おかあさんもご存じかもしれない。進行性筋ジストロフィーという難病の子なんだ」 そのときの反応がわたしを驚かせた。一瞬険しい表情になったかと思うと、よろよろとわたしのとなりにきて、カウンターにうつ伏せになって泣き出したのだ。悪酔いにもほどがある。これもどうあつかっていいのか分からない。 「小川さん、帰って」 あとはことばにならなかった。 翌日、学校帰りの健一がカバンを持ったままとび込んできた。 「先生、おかあさんに金沢に行くことを話したんだって?」 「うん、きのうの榊原さんに誘われたんだ。きみと一緒に金沢にこないかと。おかあさんの許可をとろうとしたんだが、だめだった」 「ちがうんだ。金沢へ行けというんだ。おかあさんはかなり酔っぱらっていた。おこされちゃってね。健一、金沢へ行ってこいとだけいって、そのままバタンキューさ。何がなんだか分からなかったけれど、朝、聞いて事情がのみ込めた」 「しかし、どうして心変わりしたのかな。きのうはケンもホロロだったのに」 「決め手は筋ジストロフィーさ。去年、青島くんが少年少女に優勝したとき、新聞に大きく出たでしょ。おかあさんは泣きながら切り抜いていた。変だと思って聞いたんだ」 健一の母には筋ジストロフィーの弟がいて、18歳で亡くなったという。そうか、それで金沢行きを許してくれたのか。 羽田空港には健一の母が見送りにきた。 「お世話になります。初めての飛行機の旅ですので」 美しい人だなという思いを一層強くした。夜よりも昼に見る方が魅力的だ。 「旅だなんて大げさだよ。一時間で行っちゃうんだから。それより、お母さんの方が着物でおめかしして、小川先生とデートするみたいだよ」 「まあ、この子ったら」 「健一くん、おとなをからかうものじゃない」 健一と私は機中の人となった。離陸のときこそ、体を固くしていた健一だが、すぐいつもの調子に戻った。 「お母さん美人でしょ。言い寄る男は多いらしい。再婚の口もたくさんあるけれど、見向きもしないんだ。でも、小川先生なら口説いてもいいよ」 「こら」 もっと健一の母のことを知りたかったが、こちらの気持ちを見透かされるようで、黙っていた。 「このあいだのおじさん、榊原さんだったね。榊原さんのことを教えてよ」 そうだ。それを話しておかねばならない。二十年前の記憶がよみがえった。 わたしが大学に入り、囲碁部に入ったとき、二年の榊原幸治は囲碁部の主将だった。わたしは四つ置いても勝てなかったが、「うん、選手候補だ。頑張りなさい」と力づけてくれた。それから、週二回の練習日には決まってわたしと打ってくれた。夏の合宿でも毎日のように打ってくれた。 秋になって、わたしは選手候補十人の中に入った。十人が互先で総当りのリーグ戦を打ち、主将から五将までの選手が決まる。わたしは五勝四敗で五将に選ばれた。主将は九勝全勝の榊原だった。 「おめでとう。ついに選手だね」 榊原のかけてくれたことばがうれしかった。榊原主将のもと、選手になれたことがうれしかった。わたしも少しは強くなったらしい。榊原には二子でまったく歯が立たなかったが。 健一は黙って聞いていた。 「ところで健一くん、榊原さんの大学時代の勝敗を知っているかい? 知るわけないよね。団体戦の関東大学リーグや個人戦の学生本因坊戦など、すべての公式戦を合わせ、六十数戦して二敗だ」 「すごい。僕が二つ置いても勝てないはずだよ」 わたしはその二敗をいずれも目撃した。最初の負けは私の一年の秋、つまり五将で関東大学リーグに出場したときの、ある大学との対戦だった。わたしの碁が早く終わったので、榊原のうしろで主将戦を見守った。大差の形勢だったが相手は投げず、最後の半コウまで争った。 「なーんだ、半コウも負けか。分かった。ツイでください」 事件は起きた。半コウを譲ったはずなのに、相手は十数目の石をアタリにするコウダテを打ったのだ。それを見ずに榊原は半コウをツイだ。とたんに「ラッキー」といって、相手は十数目を打ち上げた。怒号が飛びかった。 「卑怯だぞ」 「そんなにしてまで勝ちたいのか」 「アタリにツガない方が悪いんだよ」 わたしもののしりのことばを投げかけたらしい。ひとり冷静だったのが榊原だった。 「いいんだよ。おれが負けたんだ」 といって、石を片づけ始めた。納得できないわたしたちは大学囲碁連盟の役員に事情を説明し、抗議をしたが受け入れられるものではなかった。 その晩、選手一同で飲んだ。チームは勝ったからよかったものの、誰もが榊原の入学以来の連勝記録がストップしたことを残念がった。わたしは飲み慣れない酒に悪酔いし、榊原に食ってかかった。 「先輩はよくそう冷静でいられますね」 「じゃあ、どうしろというんだ」 「わたしなら碁盤を引っくり返すか、相手をなぐっちゃう」 「ばかもの!」 榊原が声を荒らげるのを初めて聞いた。 「小川、よく考えろ。きょうのことで一番つらい思いをしているのは誰かと。ひょっとしたら、あのひとは一生苦しむんだぞ」 そういう考え方もあるのか。えらいひとだ。やがて榊原はボールペンを取り出し、割り箸のふくろに何か書いて寄こした。「善敗者不乱」である。 「よく敗るる者は乱れず、と読む。中国の古い本にあった文句だ」 榊原は文学部の中国文学専攻だった。確かにきょうの榊原は乱れない。よく敗れたのだろう。 「健一くん、こんな話、面白いかい?」 「うん、よく分からないけどね。それでもう一敗は?」 榊原が三年、わたしが二年になっても二人の関係は変わらず、よく打ってもらった。榊原は勝ち続けた。春の関東大学リーグ全勝、初めて出場した個人戦の学生本因坊戦に優勝、秋のリーグ戦も全勝だった。わたしは榊原に鍛えられ、三将になっていた。 ここで健一の鋭い質問が飛んだ。 「そんなに強いのに、榊原さんはプロになる気はなかったの?」 プロ入りのうわさは聞いた。弟子を育てるのが熱心な藤枝九段が、外来で入段試験を受けないかと誘ったらしい。プロになっても十分やっていけたと思う。榊原に訊ねると、「おれはプロの柄じゃないよ」と否定した。うれしかった。プロになったら、遠いところに行ってしまうと心配したからだ。 大学日本一を決める全国大学選手権の最終日に事件が起きた。勝ったほうが優勝する決戦。すでに四局が終わって二勝二敗。すべて主将戦にかけられた。 好勝負だった。大ヨセに入った時点で形勢不明。ところが時間に追われた相手がダメづまりのポカをやって、楽勝の碁になった。それから二、三手して「ありません」と言ったのは榊原のほうだった。 「健一くん、信じられるかい? 榊原さんが三十目もよかった。なのに投げたんだ」 「えっ! なんで?」 なぜだという声は現場でも巻き起こった。一年前の半コウ事件以上の大騒ぎになった。なぜだと、私も聞いてみたかった。しかし聞けなかった。何かおそろしい答えが返ってくる気がしたからである。 その晩の囲碁部の納会は、優勝祝賀会が残念会に変わり、トゲトゲしい空気につつまれた。 「勝ってる碁を投げるとは、どういう魂胆なんだ」 「榊原、責任をとれ」 OBや四年生の追咎は厳しかった。榊原は下を向いたまま、「迷惑をおかけして申しわけありません」とくり返すだけだった。 納会がすんで、珍しく「小川、おれのところで飲もう」と誘われた。黙ってついていくしかなかった。榊原のアパートは小ぎれいだった。本棚には中国の古典のほかに、『本因坊道策全集』『本因坊丈和全集』『本因坊秀策全集』『本因坊秀甫全集』『本因坊秀栄全集』がきちんと収まっていた。そして板盤。 「本はアルバイトして買った」 榊原の布石は古碁の香りがしたのは、昔の名人を勉強したからだった。会話ははずまない。なぜ投げたのかも聞かずじまいだった。気がつくと、ウィスキー一本が空になり、二人はそのまま横になった。このときの榊原のひとことが耳から消えない。 「碁って悲しいゲームだな」 わたしは寝たふりをした。悲しいとは何だろう。そのあと、しゃくりあげるような榊原の泣き声がしばらく続いた。 翌朝、別れるときに封筒を渡された。退部届けにちがいない。 「こんなもの、出せませんよ」 「みんなに迷惑をかけたんだ。やめないわけにいかないだろう」 「それは間違いです。一度くらいの負けがどうなんです。だいたい、リーグ戦で何回も優勝できたのは榊原さんのおかげじゃないですか」 押し問答だった。退部届けはあずかったまま、提出しなかった。榊原が囲碁部に顔を出すことは二度となかった。 「うーん、で、それっきりになったの? このあいだは二十年ぶりとか言ってたけど」 「それっきりだった。一週間くらいたって、大きな荷物が送られてきた。あの道策全集などだった。手紙が入っていて、ほとんどの碁は頭の中に入っているから必要ない、と書いてあった」 「そうか、碁会所に置いてあるやつだね。ぼくも見たことがある。しかし不思議だね。同じ大学でしょ。顔を合わせてもいいのに」 「学生は何万といるんだぞ。それに榊原さんの行ってた文学部はちょっと離れたところにあった」 ごくたまに手紙のやりとりはあった。大学を卒業すると、郷里の大学の大学院に入ったと知らせてきた。うれしいことに、碁に興味は失っていなかった。打つことはほとんどないが、『週刊碁』を購読しているという。五年前、助(准)教授に昇進すると、囲碁部の顧問を依頼されて引き受けた。ほぼ同時に囲碁部の学生を連れて、養護学校に碁を教えに行き出した。 「分かった。そこで青島拓也くんと出会ったんですね」 「青島くんのおとうさんは同じ大学の医学部の先生なんだ。高校時代の親友で、碁は榊原さんが教えたとか。青島くんのおとうさんから、養護学校に教えに行くよう頼まれたらしい」 榊原からの手紙を思い出した。 〈前略。いなか暮らしは退屈だが、いいこともある。ボランティアとやらで、養護学校に碁を教えに行くことにした。すばらしい小学五年生にめぐり合った。筋ジストロフィーという難病だが、病気の暗さをまったく感じさせない。碁はおとうさんに教わって、あっという間に勝つようになったという。ためしに六子で打ったが、みごとにつぶされた。次の五子も負かされた。急所にビシビシくる碁でね、おれの中学生時代もあんなふうかもしれなかった。よし、この子に賭けてみようと決めた。おれのすべてをつぎ込んでやる。二子で打てるようになったら、少年少女名人戦に出すつもりだ。しかし病気との競争だね。病気が勝つか、おれと少年の連合軍が勝つか。きみもこちらにくることがあったら、打ってやってくれないか。ではまた〉 次の手紙で四子でも負けるようになったと知らせてきた。次は三子、そして二子。 「それが去年なんですね。おかあさんに切り抜きを見せてもらった。優勝できたのは榊原先生のおかげですという青島くんの談話が載っていた」 いろいろ話しているうちに、飛行機は小松空港に到着した。 「一つだけ教わっていないことがあります。榊原さんはなぜなげたか、です」 「わたしも考えた。たぶん、あれじゃないかと思う。でも、口で説明するのは難しいな。なんなら自分で聞きなさい。健一くんになら教えてくれると思うよ」 空港には榊原が迎えにきていた。 「おう、よくきたな」 「よろしくお願いします。おじさんはすごく強いんですね。小川先生からみんな聞きました」 「うん、ちょっとは強い。でも、いばるほどじゃない。それより腹へってないか。もう昼すぎだ。ソバでも食っていこう。拓也くんの家に行くのはそれからだ」 「あれっ? 養護学校に行くのではないですか」 「土、日はね、養護学校もお休みなんだ。金曜の夕方家に戻って、月曜の朝、登校する」 誰にもものおじしないのが健一のいいところだ。そんな健一を榊原は好ましく思ったようだ。私の知っている榊原より、ずうっと冗舌であり、よく笑う。ソバ屋に入って、健一が天婦羅ソバ二人前を注文したときも、うれしそうだった。 「きみはふだんからそんなによく食うのか?」 「いいえ、いつもはあまり食いません。飛行機に乗ったら緊張しちゃって、腹が減りました」 金沢市の中心部から車で十五分ほどのところに拓也の家はあった。拓也の母、それに車イスの拓也が玄関で迎えた。 健一が手を差し出して握手を求め、「友だちになろうよ」という。このひとことで二人は打ちとけたようだった。難儀そうに手を出し、「うん、しかしぼくの長い生涯で、友だちになろうとあいさつされたのは初めてだな」と拓也。 長い生涯か。微妙なことばだな。何歳まで生きるのか、おそらく少年は知っている。だとしたら、長い生涯も大げさではあるまい。ふつうの人間の壮年期、いや老年期に少年は差しかかっているのだろう。 「拓也くんにプレゼントを持ってきた」 「なに、なに?」 「分かんない。おかあさんが持っていけというんだ。とても軽いから、大したものじゃないね」 「健一くんはおかあさんというのか。ぼくはママ」 「うちはね、ママといったら張り倒される。いつもお客さんにママといわれているから、いやなんだって。おかあさんは飲み屋をやってるんだ。おとうさん? ぼくが赤ん坊のころ、死んじゃった」 「ママ、これいいにおいがするよ。あっ、しおりだ。和紙だね。ぼくの手帳にはさもう」 その香りには記憶があった。なーんだ、羽田空港での健一のおかあさんのかすかな香りだった。 「健一くん、ぼくの部屋に行こうよ。ぼくもプレゼントがあるんだ」 「じゃあ、車イスはぼくが押す」 二人が消えて、卓也の母が言った。 「健一くんて明るい子ですね。拓也があんなに楽しそうなのは久しぶりに見ました。でも何かしら。プレゼントって。何も用意しなかったはずなのに。さあ、お茶にしましょうね。それとも榊原先生はウィスキーかしら」 「いや、夜、小川と飲む予定なんで」 「小川さん、お気をつけなさい。榊原先生はとてもお強いのよ」 「はい、学生時代は酒も碁もかなわなかった」 「それより、みなさんでうちにお泊りになれば? 夕方には主人も帰ってきますから」 「いや、宿をとってあるんですよ。昔、小川に悪いことをしましてね。そのわけを聞きたいというもので。今夜は深刻な話になりそうです」 おいおい、わたしはそんなこと言ってないぞ。悪いこととは、あの投了事件だろう。とうとう榊原の口から真相が聞けるのか。 卓也くんの部屋から笑い声が響いた。 「そうそう、あの子たちにもお茶とケーキを持っていきましょう」 すぐ静かになった。二人は碁を打ち出したという。 「榊原先生もご存じでしょ。このごろ拓也は手も不自由になってきて。しっかりしているのは首から上だけです」 「ええ、碁石を持つのも難儀そうだ」 「健一くんは親切だわ。拓也の石も置いてやるんですから。小川さんがそうするようにと?」 「いいえ、わたしは何もいってません。ただ、おかあさんの弟が同じ病気だった。健一は二、三日前にそれを知ったそうです」 「まあ、そうでしたの」 それからは病気の話ばかりだった。三歳のころ、歩き方がおかしく、異常に気がついたという。 「小学校三年のときだったかしら。あの子はパパの部屋に入って、難しい専門書を読んだのです。頭のいい子でしたからね。それでだいたいのことが分かったのでしょう。そのときの拓也の気持ちを考えると……」 十歳で自分の人生の結末を知る。これほど残酷なことがあろうか。 「そのすぐあとでしたわ。主人が碁を教えたのは。あの子の熱中ぶりは大変なものでした。いろいろな碁の本を読み、主人より強くなって。養護学校に移って、榊原先生に教えていただくようになり、全国大会にも出させてもらって、そのうえ優勝も」 「いあや、彼の才能ですよ。おれはただ打っただけです。あれは中学に入ったときだったかな。プロ棋士になるにはどうしたらいいのかと聞かれた」 「まあ、そんなことがありましたの。あの子の夢でしたのね」 「その夢、かなえてやりたいと思った。しかしすぐ、プロのことは口にしなくなった」 拓也の父、拓爾が帰ってきた。 「いらっしゃい。予定外の手術が入ってね。きょうはゆっくりできるんだろう」 「そうもいかないんだ。三人分の宿も予約してあることだし。おや、もうこんな時間だ。そろそろ失礼しないと。拓也くんを疲れさせても申しわけないから」 わたしと榊原は拓也の部屋をのぞいた。車イスの拓也と健一が向かい合っていた。 「タクちゃんは強いや。最初はね、先で打たせてもらったんだけど、ゼンゼン歯が立たない。いま二局目さ」 「そうか。そろそろ失礼しなくては」 拓也のきつい口調が意外だった。 「いま、勝負しているところなんだ。出て行ってよ。ケンちゃんはここに泊ればいい」 「そうだよ、そうだよ。どうせ二人でお酒を飲むんでしょ。そんなとこに行っても面白くない」 「弱ったな。ご両親がいいとおっしゃるなら……」 「パパとママは大歓迎さ」 私たちは青島家を辞し、宿に向かった。宿では食事の準備が整っていた。 「子供っていいもんですね。もう、タクちゃんとケンちゃんだから」 「そうだな。おれも高校時代は拓也の父をタクちゃんといってた。なつかしいような気がしたよ」 話は二十年前にさかのぼった。とうとうきたぞ。 「あの事件があって年が明け、半月ほどたってから、斎藤さんに呼び出された」 斎藤祥一。囲碁部の伝説的OBだ。大学時代の公式戦は榊原と同じ二敗。その後、アマチュア本因坊やアマチュア名人戦の優勝は数知れず。亡くなる前は大企業の代表取締役までつとめたひとだった。 「すごい料理屋だった。叱られると思ったよ。だから平身低頭の一手だった。ところが違うんだな」 榊原の話の内容はこうだった。斎藤先輩の一人舞台だったという。 「きみがあやまることはない。きょうはおれの話を聞いてもらいたくて呼んだんだ。おれもずいぶん勝ったが、あぶない碁も多かった。しかし決まって相手が自滅する。そのとき、しめたと思う。そんな自分がたまらなくいやになった。相手のポカをよろこぶなんて人間のクズじゃないか」 すっかり見透かされていると、榊原は思った。 「こんどそんなことがあったら、投げるつもりだった。しかしおれは投げなかった。その点、おれはずるく、きみのほうが純粋なんだな。なぜ投げなかったか分かるか?」 榊原には分からなかった。 「うまく説明する自信がない。きみは中国文学をやっているから、よく知っているだろう。琴棋書画ということばがあるね。それを思い出したんだ。音楽も書も絵画もそれぞれ一級の芸術だ。そこに碁という異質なものを、なぜ並べたのか。初めはね、碁を立派に見せるための宣伝じゃないかと思った。碁をやる人の言い訳といってもいい。ところがそうじゃない。きみの専門だが、王安石や蘇東坡の詩を見ても分かるように、まったく同列なんだ。碁が劣っているなんて、とんでもない。彼らはシンから碁を楽しんだんだね。なぜか。それがある日、突然分かった」 酒を酌みかわしながら斎藤の話は続いたという。 「世の中、いやなことがたくさんある。戦争や国同士のいさかい。企業だってそうさ。おれもきたない手をつかって商売がたきをハメたことがある。まあ、戦ったり競争したりは人間の本能みたいなもので、仕方ないといえばいえる。ここからだ、昔の中国のひとが偉かったのは。世の中が少しでも平和になるためには、人間のみにくい本能をなくすしかない。でも、そんなことはできっこない。そこで碁を発明したんだ。本能をすべて盤上にぶち込む。アウフヘーベンと習った。碁によって精神を浄化するのかな。そしたら世の中はすこしでも平和になる。それが昔の中国人は分かっていたんだ。音楽や絵画だって同じだ。本能や感情をぶち込むから面白い。機械みたいなものじゃ、つまらんだろ。話が妙な方向へ行ったな。盤上に本能や感情をぶち込め。権謀術数やだましも何でもありだ。それでいいじゃないか。だから、きみに半コウをツガせてラッキーと言ったやつをおれは許せる。社会でそんなことをやったら、人間のクズだけどね。盤上では何をやっても許せるんだ」 ここで榊原は思い出話を止めた。 「それからどうしたのですか?」 「斎藤さんの話はそれで終わった。あの投了については何も言われなかった。すごい人だと思ったよ。おれは相手のポカによろこぶ自分を許せなかった。しかし斎藤さんはおれのはるか上を行ってた。かなわないよ」 「ところで、榊原さんは斎藤さんと打ったことがあるのですか?」 「きみは知らないよね。大学に入ったばかりのときの新入生歓迎会で一度だけお願いした。二子か三子か迷っていたら、先でいいといわれる。完敗だったが、投げっぷりがいいと、妙にホメられた。斎藤さんだけどね、しゃべるだけしゃべると、きれいなおねえさんを呼んでドンチャン騒ぎだった。おかげで、おれもいやなことは全部忘れた。そうそう、碁をやめないでいてくれと、きみは何度も手紙に書いたね。やめるつもりはまったくなかったよ。斎藤さんの大演説を聞いたら、やめたくてもやめられないじゃないか」 わたしたちの酒も進んだ。二十年のわだかまりも消えた。 「いまごろ、二人はどうしているのかな。もう寝ただろうね」 「先日、先輩は気になることを言いました。拓也くんの少年少女出場は問題があると」 「それなんだ。去年はちゃんと打てた。しかし、きみも気がついただろう。手がだいぶ不自由になった。打てるかどうか心配なんだ。手合時計も押すとなると、無理じゃないかな。おかあさんは全国大会出場に反対なんだ。おれに説得してくれという」 「つらい役回りですね。残酷だ」 翌日、わたしたちは青島家を再訪問した。少年たちは兄弟以上の仲良しになっていた。 「きのう二局と、けさ一局打った。タクちゃんは強いや。みんな負けた」 「いや、ホントは五分五分さ。二局目はぼくの負け碁だった」 「どうしたら強くなるか。拓ちゃんにいろいろ教えてもらった。そしてこれをもらったんだ」 二冊の大学ノートには『中村道碩・小川道的全集』と書かれていた。ページをめくると、碁ケイ紙に手書きの数字がきれいに並んでいた。 「こんな大切なもの、もらうわけにはいかないと言ったら、タクちゃんは全部暗記したから必要ないんだって。中村さん、小川さんと言って、タクちゃんに大笑いされたよ。とても強いらしい」 中村道碩と小川道的に目をつけるとは榊原らしい。布石は古流だが、戦いの力をつけるにはぴったりだ。もっともわたしも数局しか並べたことはなかった。 「そうそう、タクちゃんのオシッコも手伝ったよ。オチンチンを引っぱってね」 「まあ」と青島夫人もほほえんだ。 「小川さん、本当にすばらしい子を寄こしてくれました。感謝します」 「いいえ、こちらこそ。健一は遠慮がなくていけない。思ったことをすぐ口に出すでしょ」 「それがいいのですよ。最近は妙にコマシャクれた子が多いけれど、健一くんは別だね。拓也も得がたい友を持った」 と青島拓爾。 「もう帰っちゃうの。もっとゆっくりしていけばいいのに」 「飛行機の時間があるんだよ。あと二カ月もしないで東京で会えるじゃないか」 「ケンちゃんとはできれば決勝戦でぶつかりたいね」 「うん、決勝戦だ。約束だよ」 少年少女名人戦全国大会がやってきた。拓也少年もやってきた。つきそいは青島夫人と榊原、それに養護学校の女性教諭。拓也の状態は悪化しているように見えた。榊原は言う。 「説得はできなかった。死んでも出るといって聞かない。そりゃそうだろうね。碁を打つことが生きている唯一のあかしなんだから。じつはもう石も持てないし、時計も押せない。そこでいい方法を思いついたんだ。養護学校の鵜飼先生にお願いすることにした」 榊原の思いつきは奇抜だった。石は持てなくても、眼は十分働く。目で合図して鵜飼先生に伝える。それを鵜飼先生は指揮棒のようなもので着点を示し、確認する。違っていたら拓也くんが首を振り、合っていたらうなずく。そして鵜飼先生が石を置く。手合時計も鵜飼先生が押す。 「鵜飼先生はすごいぞ。碁は知らないのに百発百中だ」 「それにしても大変なハンデですね。難題もある。そのやり方を主催者が認めてくれるかどうか」 「それをきみと一緒に掛け合いに行こうと思ってたんだ」 案の定、主催者はいい返事をしない。「前例がない」「対局中に何かあったら、誰が責任をとるのか」である。榊原は怒った。 「前例がないのは当たりまえじゃないですか。もし認めてくれないのなら、体の不自由なひとを締め出したと騒ぎますよ」 そこへ大会審判長の石川九段が通りかかった。 「石川先生、助けてください。どうしたものですか」 「うーん」と言って、石川九段は考え込んだ。 「出場を認めましょうよ。昨年は青島くんが優勝したおかげで報道陣がすごかった。今回も、そうはいっては失礼だが、いい宣伝になる」 こうして大会は始まった。青島拓也は予選1回戦、2回戦、3回戦と勝ち進んだ。鵜飼先生との息も申し分なかった。しかし決勝トーナメントでいきなり村野健一とぶつかるとは。 休憩時間に二人はヒソヒソと話をかわした。 「タクちゃんにもらった棋譜、よく分からなかったけど、全部並べたよ。あんなに強いひとが何百年も前にいたんだ」 「全部並べたんなら、ケンちゃんの優勝だね」 「いや、タクちゃんにはかなわないよ」 「これが事実上の決勝戦だね」 対局開始直前、健一は奇妙な行動に出た。石川審判長の前に進み出て、何ごとか話しかけたのである。石川審判長はわたしたちのところにやってきた。 「村野くんが全部やると申し出ました。青島くんのかわりに石を置くのも、時計を押すのも。もし青島くんに異存がないようでしたら、これを認めます」 青島の笑顔が合図だった。 「それでは対局開始」 「おねがいします」の大合唱が日本棋院大ホールに響いた。 「健一くんはやるね」 と榊原。わたしはコンビがギクシャクしないかと心配だったが、二人の息は絶妙だった。健一が打って、自分の時計を押す。即座に拓也の目をのぞいて確認し、石を置く。そして拓也の時計を押す。一度だけ、拓也が首を振った。 「あ、そっちか。ごめんね。うまい手やられたなあ」 その一手を境に、健一がやや苦しくなったと見えた。報道陣がいっぱいだった。 「この二人はレベルが違うね。ひとまねじゃない。すべて自分の頭でしっかり考えている。プロになってもやれるよ」 石川審判長がそっとつぶやいた。確かにその通りだ。打ちすぎはあったはずだが、悪手は一つもない。二人はもうわたしを超えたのだろう。碁は後半の競り合いになった。形勢は分からない。一手打ったほうがよくみえる。 そのとき、わたしの前にいた青島夫人が悲鳴をあげた。 「あー、拓也、拓也。しっかりして!」 拓也の体が前後に振れたかと思うと、顔から盤上に倒れた。石が飛び散った。 すぐ健一が車イスに近寄り、拓也を抱き起こそうとする。会場は大騒ぎになった。拓也は救急車に運ばれた。 「タクちゃんが死んじゃう。死んじゃうよ」 健一はベソをかいていた。一緒に救急車に乗るといって聞かない。榊原が必死になって押しとどめた。 「健一くん。青島くんのご両親はこうなることを覚悟していたんだ。だからあらゆる事態に対処できるよう、緊急の入院先もこの近くに決めておいた。お父さんの大学時代の友人が院長をやってるらしい。救急車にはお母さんと鵜飼先生が乗ったから、まかせようじゃないか。鵜飼先生は看護師だし、おかあさんも元看護師だ。こんな手厚い態勢はない。健一くんが行ったってどうなるものじゃない。あとで病院に行こうよ。お父さんには電話で連絡した。すぐ飛んでくると言ってた」 「分かりました」 健一の行動は予測できない。こんどは、石川審判長に駆け寄った。 「石川先生。いまの碁はぼくの負けです。ぼくが早く投げないのがいけなかった」 「そうかな。先生の目には互角に見えたが」 「とにかく負けにしてください」 「それはできない。青島くんの棄権負けです」 「だって、きょうはもう終わりなんですよ。青島くんが勝ったことにすれば、あした元気で打てるかもしれないじゃないですか」 健一の抵抗が通用するはずはなかった。わたしは肩をたたいた。 「健一くん、もういい。きみの勝ちは決まったことなんだ。それより、みんなで病院に行こう。おかあさんにも連絡しておいた」 病院のICU(集中治療室)の前には鵜飼先生が立っていた。 「おかあさまと院長先生が中にいます。拓也くんは薬で眠っています。小康状態だそうです」 「中には入れないの?」と健一。 「はい」 しばらくして、健一の母がやってきた。その胸にとび込んで、健一は泣きじゃくった。 やがて、拓也の父が現れた。 「ごめんどうをおかけして。中をのぞいてきます」 入れかわりで拓也の母が出てきた。 「ずうっと眠ったままです。健一さん、救急車の中で拓也がうわごとのようにつぶやいてましたよ。ケンちゃんは優勝できる、と」 また健一は大粒の涙を流した。 「いいんだ。僕はずうっとここにいる。今晩もあしたも。タクちゃんのそばにいたい」 「ちょっといらっしゃい」 健一の母の行動は早かった。おそらくわたしが言うであろうことを言ったのだろう。 「健一くん。あした打つ打たないは、きみの勝手だ。しかし拓也くんがよろこぶと思うか? 一生懸命打って、その結果を拓也くんに報告する。それがきみのつとめじゃないかな」 姿を現した健一から涙が消えていた。おかあさんはわたしよりずうっと説得がじょうずらしかった。 「でも、もうちょっとだけ、ここにいます」 一時間ほどで母と子が帰ったあと、拓也の父と院長が現れた。口を開いたのは院長だった。 「私から説明します。青島先生から拓也くんの筋ジストロフィーは福山型と聞きました。福山型は最もたちが悪く、患者のほとんどは十代で亡くなります。呼吸不全か心不全が直接の原因ですが、拓也くんの場合は呼吸機能がいちじるしく衰えている。いまは落ちついていますが、おそらく明日がヤマではないかと……」 榊原はうなだれた。 「やっぱり東京なんか、連れてくるんじゃなかった。申しわけない、青島」 「榊原、違うぞ。拓也は碁というすばらしいものに出会い、いのちを燃やした。それを導いてくれた榊原には感謝している。生涯の最後に健一くんと知り合えたのも、すばらしいことだった。きょうはわたしと女房とがここに残る。鵜飼先生もみなさんも、ひきあげてくださったほうが……」 そうするしかなかった。 大会二日目。 当然ながら、健一は拓也の状態を知りたがった。きょうがヤマなんて言えない。 「ご両親と連絡をとり合っているから大丈夫だ。おかあさんは?」 「一緒に家を出て、病院に行った。おにぎりをたくさんつくって持っていったよ。ぼくも病院に行きたかったけれど、ダダをこねると、またおかあさんのビンタがきそうだった」 元気がなかったものの、最初の準々決勝は地力の差で押し切った。準決勝にくると相手も強くなる。あぶない場面はあったが乗り切った。健一は自分が勝つものと決めているらしい。 決勝の前に健一の母から電話があった。 「よく分かりませんが、先生方や看護師さんの動きがあわただしくなったようです。ご両親はICUに入ったままです。健一にはうまくごまかしてください」 決勝戦の席につこうとしている健一に声をかけた。 「拓也くんは頑張っているそうだよ」 「うん」 拓也はいまや時のひとだった。マスコミは筋ジストロフィーの少年との友情とか騒ぎ立てるのだろう。テレビカメラや写真班の山だった。 いけない。まったく気合が入っていないのだ。カナメを取られたうえに、健一の白はあちこちが薄く、必敗態勢。健一は泣いているようだった。よく涙を流す少年だが、対局中は誰よりも勝気のはずなのに。 健一はしばらく天井をながめていた。そのとき病院に行っていた榊原からメールが届いた。 「たったいま、亡くなった。最後にケンちゃんと絞るようにつぶやいたらしい」 そうか。やはりだめだった。「健一は苦戦」とだけ送った。 健一の目が盤上に戻った。しかしノータイムの連続。何も考えていないようだった。 局面は健一が白1から3とツケたところだった。だめだ、黒4とノビられ、攻めにならない。左側の白四子のダメが二手しかなく、つながらせてやるようなものではないか。これまでだな。 ところが健一の次の一手を見て、頭をなぐられた気がした。 白1である。相手も「おやっ」という表情になった。天から降ってきたような妙手ではないか。黒は左右がつながらない。まだ難しいところはあるにしても逆転だ。 ほどなく勝負は終わった。その様子を病院から駆けつけたのだろう、榊原と健一の母が見ていた。 「拓也くんが勝たしてくれたんだな」と榊原。その通りだろう。あんな手をノータイムで打つのは奇跡としか考えられない。健一がわたしたちのほうにきた。 「どうしたんだ? 途中で涙ぐんだり、上を見たり」 「タクちゃんが遠くへ行っちゃうと思った。そしたらね、上のほうからタクちゃんの声が聞こえてきた。ケンちゃん、ぼくはきみとずうっと一緒だよ、とね」 榊原と顔を見合わせた。同じ時刻だ。 「あとは何も考えないで打てた。いまでもどうして勝てたのか分からない」 拓也の死をどう知らせればいいのだろう。すぐ表彰式が始まったので助かった。表彰状と優勝楯の授与のあとは、お決まりのインタビューだった。 「村野くん、優勝おめでとう。きみは中学一年生だね。おにいさんたちにまじって、優勝できると思ったかな」 「分かりません」 「きみはプロになりたいの? 石川審判長はすぐにでもプロにさせたいと語っていましたよ」 「分かりません」 「では質問を変えましょう。棋士で尊敬する人はいますか?」 「大勢います。中村道碩とか小川道的とか」 「その中村さん、小川さんは強いのかね」 「中村さん? おじさん、碁のことが分かってるの?」 司会者はしどろもどろだった。会場から失笑がもれた。健一の行動は相変わらず予測不能だ。 「おじさん、悪いけれど、ぼくは忙しいんだ。失礼します」 よく言ってくれた。さあ、病院へ急ごう。榊原がタクシーを待たせておいた。乗り込んでまず口を開いたのは、健一の母だった。 「健一、言っておくことがあります」 「言わなくてもいいよ。ぼくは知っています。みんなの様子を見て、すぐ分かったよ」 重苦しい沈黙のまま、病院についた。 「健一、そっちではありません。地下の霊安室です」 「あ、そうか」 霊安室には健一の両親と鵜飼先生がいた。健一の涙には慣れていたが、行動はまたも予想を超えていた。 「タクちゃん、目をさましてくれよ。まだあったかいじゃないか。ぼくはタクちゃんに見せたいものがあって、持ってきたんだ」 背中のザックを下ろし、見おぼえのあるノートを取り出した。中村道碩・小川道的全集だ。 「最後に空白のページがあったよね。そこにこのあいだ、ぼくが負けた碁を三局書いておいた。笑っちゃダメだよ。ほら、対局者名もある。タクちゃんのとこは〈名人 拓〉だ。ぼくかい? 〈先 準名人 健〉と書いておいた」 会話しているようだった。 「きのうの碁かい? まだ書く気にならない。そのうち書くかもしれない。タクちゃんは言ってたよね、ぼくたちはずうっと一緒だって。その通りだと思う。だから、お別れのことばなんていわないよ」 わたしたち全員が泣いていた。 翌朝、両親は拓也の棺とともに飛行機で帰った。葬式はわたしだけが東京から参列することにした。健一も行きたがったのだが、ちょうどその日、健一の中学校が祝賀会を開くという。健一からは榊原への手紙を託された。
(終)
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