囲碁の歴史03 中世(鎌倉・室町時代)の碁


囲碁の広がり
鎌倉時代(1192-1333)・室町時代(1338-1573)は、公家文化から武家文化へ、さらに仏教などあわさった文化が地方へ広まっていった時代です。
宮廷、貴族に広まった囲碁は、武士、僧侶などの知識階級へ、またしだいに農業、商業の人々の間にも広まっていきます。
鎌倉の大仏

1199年、玄尊(げんそん)が囲碁の戦術や礼儀作法、取り決めなどを書いた日本最古の棋書といわれる「囲碁式(いごしき)」を定めました。(=群書類従)

1253年、僧侶の日蓮と弟子の吉祥丸(=日朗)が打った碁の記録(=棋譜)があります。現存する最古の棋譜といわれていますが、本物かどうか分かっていません。ただ、自筆の教本にも碁の記事がみえるところから、日蓮が囲碁を打ったことは間違いないようです。

また、同じ年に僧侶同士(=法探坊と刑部坊)の打った碁でルール問題(=両コウ問題)がおきました。

当時の文学として歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」「太平記(たいへいき)」、また吉田兼好(よしだけんこう)の随筆「徒然草(つれづれぐさ)」などにも囲碁に関わる記述があります。
吉田兼好(よしだけんこう)

1530年ころ、中国明の林応竜によって「適情録」20巻が編纂されました。
その中に虚中(きょちゅう)という日本の僧侶がつくった碁の図が384あまり入っています。
虚中という人物は誰なのかわかっていませんが、日本の碁は、中国と同レベルまでに達していたものと思われます






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