祖母


 この春、急に桜を見たくなったから、、、と、もったい付けた良い訳をしながら、初めてダンナと里帰りをした。
結婚して1年半、まだ一緒に帰った事がなかった私達である。あたり前の事ながら親戚や知人にダンナを紹介するのも初めてな訳で、あちこちへの挨拶まわりが今回の最重要課題である。
私の生まれ故郷、新潟には祖母が一人いる。私はここで5才まで過ごした。

 当時、私は初めての内孫であったお陰で、祖父母から蝶や花よと甘やかされ大切にされ育った。我が黄金時代とも言えようか、自然と私は祖父母っ子だった。
祖父は早くに他界したが、祖母は90才を超えて健在でいる。久々にお墓参りも兼ね、祖母のいる新潟へダンナと共に訪ねる事にした。

楽しみにしていた桜も東京では散り納めと言うのに、北国新潟ではまだ蕾も固い。冷たい北風に思わずコートの襟をたてる。
祖母は数年前から、完全看護の老人施設にいる。足腰は弱って車いすを使うものの、顔艶も良く見た目には元気そのものだ、ボケを除いては。
「あんたがた、遠くからよー来なんすたねえ。」
6年前、イタリアへ行って以来初めて会う祖母。その笑顔は昔と同じで優しい。
「おばあちゃん、私この人と結婚したんよ。」 
「まあ、あんた外人さんとかね。そりゃあ良かったね。」  
ようやく祖母に報告出来た嬉しさに目がうるんできた。
やばい、と思って振り返ったらダンナの目も赤い。
「外国から来た人には、こうした所は面白いかね?」
喜んでくれた祖母は、更に気を良くして私達を自室に案内してくれた。そこは同じようなお年寄りが集まった数人部屋で、置いてあるのは私物の入ったタンスとベットだけの無機質な風景だった。
「どうれ、折角だから日本のタンスをみてきなさい。」
小学校の教員だった祖母である。昔の教え癖が抜けないのか、それともダンナに気を使ってか、祖母は熱心に勧めてくれる。困った顔をしながらも、祖母に付き合ってくれるダンナ。言葉が通じないの に、良く分かるものだ。
「ホレ、あんた。外国からのハガキだよ、珍しいだろ?」
ふと、祖母が下着入れの間から大切そうに取り出した数枚の絵ハガキ。それは私が囲碁指導の合間に時折送った、ヨーロッパからの便りだった。
「なんでも勉強だからね、よく見ときなさいよ。」と、自慢げな祖母。
孫の存在は分かっていても、それが目の前にいる私とは結び付かないらしい。それとも外国へ行った孫がまさかここにいるとは、祖母には想像も付かないのだろうか。
私のハガキを大切に持っていてくれた嬉しさと、ボケた現実を見せられたショックで胸が詰まる。

  「コレ、ユキチャン。コレモユキチャンデス。ワカル?」
言葉が出てこず俯いたままの私を代弁するかのように、ダンナは健気にもカタコトの日本語と身ぶり手ぶりで祖母に説明を始めた。どう、贔屓目に見ても分かりようのない日本語だけど、その気持ちが嬉しい。
「あんた、囲碁は知ってるかね?あれはボケにいいらしいよ、うちの孫はね、、、。」
聞いてるのか、聞いていないのか、それとも聞こえないのか?マイペースの祖母に固まったままの私、興奮状態でしゃべりまくるダンナ。三者三様、各々勝手にドラマを演じている様なものである。

 「また来てよ、待ってるよ」
祖母の淋しそうな声に手を振りながら、心の中で手を合わせた。
ダンナ曰く”日本人を知る旅”も無事終わり、お陰様で彼も日本食だけでなく、日本人ファンになったようだ。
そしてまた、しばらくの間遠のいていた囲碁を、思い出 したかのように再び始めている。