◆ハンブルグからは、SteffiとTobiasも一緒に車で現地に向かいました。私の概算では、参加者数は約30人から40人でした。そのうちの多くが、主に西條先生と私に会うため、そして我々から囲碁のレッスンをうける目的で、わざわざ遠くから来ているようでした。
◆いつもの指導(多面打ちと検討)の他に、このツアーで初めての試みとして囲碁指導員のためのセミナーを行いました。10人から15人が大きなテーブルの周りに座り、西條先生の初心者向けの指導方法についての話に聞き入りました。2日間のセミナーで、先生は囲碁指導員がよく起こしやすいミスについてや、興味深い囲碁の話など、先生の指導の徹底的な教授法について何時間も話されました。私にとって、そして出席した全員にとっても、これはとてもユニークな経験で、先生から頂いた知識は今後の指導に大いに役立つことでしょう。
◆指導の他にも、囲碁プレーヤーが大勢でビーチを散歩したり、生き方や囲碁についてたくさん話し合ったりしました。ヨーロッパの人はプロ棋士の生活にとても興味をもっているので、私達自身についてや日本、韓国、中国の囲碁に関する様々な質問にいつも答えなければなりませんでした。 |
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◆日曜日の夜に、ハンブルグに戻ってきました。そこから飛行機でスウェーデンのストックホルムに飛び、ツアーは2番目の国へと移動しました。スウェーデン囲碁協会の秘書Henric Bergsaker氏に空港で出迎えられ、直接車で指導の開催地へ向かい、そこでは約10人の人達との多面打ちと大盤解説を行いました。スウェーデンの囲碁社会は、ドイツに比べると小さいですが、見たところこの2年の間にヒカルの碁の影響でプレーヤー数が大幅に増加したようです。不運にも、そこの宿泊場所で2回目のショックを受けました。
◆私達は大きな家に滞在しているのに、西條先生が泊まられる部屋はとても狭くて、物がいっぱいで、スーツケースを広げると動く場所がなくなるような状態でした。その他にも、部屋は完全に清潔とはいえませんでしたし、我々が夜遅く到着したにもかかわらず、ホストは約30分もベットのシーツ交換していました。このツアーの公的性格を考慮し、また我々が西條先生を招待したということと、先生が少ない報酬でハードワークを受け入れてくださったということを斟酌すると、この行事の主催者がとった行動は全く容認できないものでした。このことでスウェーデン囲碁連盟はマイナスイメージをもたれることになるでしょう。しかし、その他のことについては、人もとても親切で、翌日はとても美しい都市・ストックホルムの素晴らしいツアーに連れて行ってくれました。Vasa美術館では、数百年前に難破した船を保存していて、本物の大きさの驚くべきデザインの船をじかにみることができる実にユニークなチャンスがあり、感銘を受けました。
◆3日間ストックホルムに滞在し、毎晩同じスタイルで指導を行い、日を追って参加者が増えていきました。この経験がスェーデンの囲碁プレーヤー達に役立てばよいと思います。
◆木曜日の朝、スウェーデンから再びドイツへと戻りました。目的地ミュンヘンに向けてデンマークで飛行機を乗り換えなければならなかったので、とても疲れる移動となりました。ミュンヘンから列車に乗り、最終的にRegensburgに到着したのは、夕方の5時頃になりました。EGFの主催者がなぜ私に次の目的地であるルーマニアへ直行させてくれず、たった一晩のRegensburgでの指導のためにこの面倒な移動を計画したのか全く理解できませんでした。しかし、Regensburg
でイベントの主催者に会って、事情がわかりました。Regensburgの主催者は、トルコ出身のかなりの囲碁熱狂者で、我々をとても必要としていましたし、できることなら我々にツアーの残り期間をずっと彼らのところに居てほしいと言ってくれました。
◆大勢のプレーヤーが参加してくれ、彼らが見せた囲碁への情熱には人を動かす力がありました。そして彼らがもつプロ棋士に対する尊敬の念にも好感が持てました。たとえ私達がとても疲れていても、楽しく一晩の指導時間を過ごすことができましたし、私が多面打ちをしている間に西條先生は数人の初心者の指導をされていました。それは素晴らしい会でしたし、Regensburg
囲碁クラブの人々にとても思い出深いものだったと思います。
◆翌日はルーマニアに飛行機で飛び、長い間計画していた“西條ウィーク”が始まりました。私はこの“西條ウィーク”のメイン主催者であり、通訳であり同時に西條先生のアシスタントでもあったので、これが私の今までの人生の中で最も緊張し、過酷な週であったことを白状しなければなりません。私は“西條ウィーク”をよい雰囲気にしてルーマニアについて先生にいい印象を持って頂きたいと強く思っていたので、小さな失敗でも私には大変気になりました。
◆私達は空港で5人以上の歓迎委員によって迎えられました。飛行場近くのレストランで食事をとり、トーナメントの開催地Curtea de Argesへの移動が始まりました。そこでは西條先生の指導を求めて参加する人達と特別なトーナメントを行うのが主目的でした。あいにく道が大変混んでいて、到着するまで4時間以上かかってしまいました。先生は前日のハードな移動ですでにとてもお疲れでしたが、私がそうさせてあげたくてもすぐには休憩をとって頂けないことを申し訳なく思いました。
◆しかし、到着した時にとても嬉しく思いがけない驚きがありました。私達全員の宿泊地であるPosadaホテルのホールで、大勢の子供達が”西條カップ”Tシャツ(このイベントのために特別に作製し、無料で子供の参加者全員に配布したもの)を着て私達を迎えてくれたのです。ルーマニアには、特別に大切なお客様を一盛りの塩とパン、そしてプラムから作ったお酒Palinkaで歓迎する伝統があります。子供達は上述の塩とパンとPalinkaだけでなく、拍手の嵐で私達を迎えてくれました。たくさんの写真とビデオが撮影され、さらに組織委員会の役員が私達と握手をして挨拶するために待機しており、西條先生は一国の大統領に値するような登場をされたのです。私は、この素晴らしい歓迎をしてくれたルーマニアの友人達を誇りに思いました。このイベントの組織について少し述べたい思います。なぜならイベントの成功を確実にするために尽力した人達のチームがあり、彼らは賞賛されるだけの価値がある働きをしてくれたからです。
◆まず初めに、ブカレストにある西條協会の共同創設者達です。彼らは私と一緒に西條先生の名前を冠したクラブの創設に関わった人達です。Doru Ilie, Radu Baciu, Petrica Oancea, Pop Cristianの方々がこの時に一生懸命動いてくれました。DoruはCraiovaで働く精力的なビジネスマンで、財政的支援をしてくれたり、トーナメントを行うホテルやVlaicu Voda高校と交渉をしてくれて、さらに私の留守中には準備のためのメインコーディネーターとして活躍してくれました。彼は、我々がツアー期間中に交通手段を確保できるようにするため、空港に到着してから4日後にブカレストに戻ってくるまでの間ずっと、数日間仕事を犠牲にしてドライバーをやってくれました。
◆Radu BaciuとPetrica Oanceaは道具の運送や、囲碁を打つためのホールのアレンジ、普及のための道具のデザインや作成、スポンサーの垂れ幕、参加者バッジなどのような具体的運営面の面倒をみてくれました。また彼らはトーナメントの審判でもあり、巡回をして全てが順調に進み、全員が楽しくいられるように気を使っていました。
◆Pop Cristianは国内でいろいろな人達と連絡をとってトーナメント参加を呼びかけ、特にルーマニアの主な囲碁対局センターの子供達をトーナメントに招待する責務を行っていました。比較的新しい囲碁クラブのメンバーであるVeleria Costea、Radu Botezat,
Andrei Armeanにも、トーナメント期間中たくさんの細かい仕事をしてくれたことを大変感謝しています。数ヶ月前にPitesti(Curtea
de Argesから車で30分の地)で囲碁クラブを開いたIon Florescuも、レッスンをビデオで記録してくれたり、西條カップの閉会時に、Pitestiの中華レストランでの素晴らしい夕食をアレンジをしてくれたりしました。
◆組織チームのもう一人のメイン人物は、スポンサーやメディアを集めたり、トーナメントイメージの構想をたてるために全力を注いでくれたMarilena
Baraさんです。彼女のお陰でTシャツが無料で頂けたり、資金面や物質面の支援も受けられ、数社の新聞社および国営テレビがイベントに参加してくれたりもしました。また彼女は、ウェルカムパーティーや夕食に関する素晴らしいアイディアを出したり、地元の世話人であるNicu
Lazer氏とVlaicu Voda高校の校長であるGheorghe Costel氏と連絡を取り合ってくれました。
◆彼らの協力によって、初心者のためのレッスンに多くの高校生参加者を呼び集められただけでなく、イベントのために最高の環境を確保することができて助かりました。
◆また、無償で手伝いを申し出て、アドバイスをくれたり、話し方のスキルを教えてくださった、ルーマニア囲碁連盟の前秘書官であるGeorge Stihi氏に感謝いたします。
さらに、直接的に参加した訳ではありませんが、芸術院会員のGheorghe Paunさんに感謝
の言葉を述べたいです。彼は、ルーマニア語で初心者向けの囲碁の本を初めて書いたり、たくさんの人が新たに囲碁に興味を持つように多くの論文を発表したりと以前からルーマニアの囲碁に貢献してきた人です。Curtea de Arges は彼の出身地で、Vlaicu Voda高校は彼の出身高校であるために、地元の人々は彼を大変尊敬していて開催地もCurtea de Argesとなりました。
また、このイベントの支援を快く受諾して頂き、日本文化に関する普及促進のための用具をいくつか寄附してくださった日本大使館に感謝致します。またこの実現に関わってくださった他の全てのスポンサーに、そしてその内の一人として私の兄弟にも感謝いたします。
トーナメントで、まず最初に驚いたことは参加者の数でした。国内のいくつかの囲碁センターの熱狂的な先生達のお陰で、50人の子供が集まりました。子供の人数はおよそ予想していた通りでしたが、およそ50人と増えた大人の参加者数に当惑させられました。私達はおおよそ全部で60人が参加すると見込んでいて、ホテルの最大限である80室を手配していたので、ホテルに到着する人数の多さには圧倒されました。
◆ホテルは完全に満室で、参加者全員がそこで宿泊するために子供達は一つのベットで2,3人が寝なければならなかったのは残念でしたが、我々が何とかして得た全部で700ユーロの支援金のお陰で子供達全員分の宿泊代と朝食代をまかなうことができたので、子供達は喜んでいました。
◆我々が到着した金曜日の夜、ホテルは楽しそうな子供達で一杯になり、数名の大人の他にも子供達の多くがホテルのエントランスで囲碁を打っていました。その場は大人はお酒を飲み始め、おしゃべりをしながらあちらこちらで囲碁を打つという典型的なヨーロッパスタイルで、ヨーロッパ碁コングレスと似た雰囲気でした。
◆西條先生は、先生との対局を熱望している人達によって完全に取り囲まれてしまい、疲れているにもかかわらず、深夜2時頃まで囲碁を打ち続けていらっしゃいました。
土曜の朝、朝食後に西條カップは始まりました。これは子供達のための厳粛なトーナメントとして準備されたものです。子供達は12歳未満と12歳以上18歳以下という2つの年齢別部門に別れて、各グループの優勝者が次回のヨーロッパ ユース チャンピョンシップに参加資格を得るというスポンサー西條協会からの特別な賞品獲得をかけて戦います。大人のためのオープントーナメントも開催されました。そのトーナメント開催中、西條先生と私はVlaicu Voda高校の校長が準備してくださった別の部屋で初心者への指導を始めました。私達は2回にわけて指導をしましたが、各回とも30人の子供で教室はいっぱいになりました。教室の雰囲気は大変なもので、多くの子供達が真剣に囲碁を学びたがっていて、西條カップ終了直後、近くに住むIon Florescueの世話のもと学校に囲碁クラブが創られました。
◆トーナメントや指導の間にも新聞のインタビューと国営テレビのインタビューに応じなけらばなりませんでしたので、西條先生も私も一日中休憩がとれませんでした。
夜には、これも寛大な支援のお陰で、全員に無料の夕食が供給されました。
◆土曜の夜は、ホテルにて同じく自由対局をして楽しい時間の内に過ぎていきました。
日曜日は、子供達が長時間かけて帰宅しなればならないため、また月曜日から学校がまた始まるために時間が限られていました。そこで子供のトーナメントはかなり早めに終了し、その後彼らのために西條先生によるユニークで面白い大盤解説を行いました。西條先生はうまく全員が参加できるようにし、先生の囲碁への愛はみんなに広まりました。
◆レッスンの終わりに閉会式が行われ、たくさんの賞品と福引の賞品を用意していたので子供達のほぼ全員が何かをもらうことができました。
◆西條先生と先生のアマチュアの学生グループである、「はくき会」の寛大なご支援のお陰で50セットの碁石を今年初めに購入することができました。その内の約30組を子供囲碁クラブに寄附をしたり、トーナメントの賞品として使いました。さらに私達は日本大使館からの用具の他にも、日本棋院中部総本部の寛大なご配慮で囲碁カレンダーを、また西條先生とアムステルダム在住のきしこさんからいくつかの扇子も頂きました。私は、子供達が満足感と良い思い出をもって家に帰ることができたと感じたので、できるだけ多くの子供のためのトーナメントの開催とこの慣習を続けるつもりです。Tシャツや本などを手にしてサインをねだる子供達にいつも囲まれている西條先生の姿を見ることは、すばらしいことです。先生にとってはサインは大変な仕事ですが、喜びでもあることは疑う余地がありませんでした。
◆ほとんどの子供が去ったその日の夜に、大人のトーナメントも終了し、その後大盤を使った最後の検討会を行いました。続いて、閉会式の最後には大人への賞品授与が行われました。賞品数は子供に比べるとかなり少ないですが、大人はそれほど賞品を欲しはていないので大丈夫なのです。
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◆トーナメントに関係したみんなへの最後のお礼とともに、Curtea de Argesを離れ、我々約15人はIon Florescuと彼のPitesti囲碁クラブの招待を喜んで受け中華料理レストランへ食事に行きました。レストランではとてもおいしい夕食を頂き、そこでも先生は再び囲碁とアジア文化のお話でみんなの興味を集めていました。
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◆翌日、西條先生とDoruと私だけで、昔はVallachiaの(ルーマニアでのこの地方の古い名前)首都であったCurtea de Argesの観光ツアーが始まりました。いくつかの印象的な建物や、かつての王様によって建てられた際立って美しい教会などをみることができました。
◆次の目的地であるBrasvoに向かう道中にも観光をするつもりでしたが、山道は霧がとても深かったために何も見えず、車で寝ていました。Branと呼ばれる有名なドラキュラの城も途中にあったのですが、これもその日は閉館していたので残念でした。
◆午後にルーマニアの真ん中に位置する美しい都市・Brasvoに到着して、日本ルーマニア友好センターを訪れた後に、地元の囲碁クラブにおいて指導を行いました。慌ただしくて緊張していた西條カップの後でしたので、そこでの指導は少しリラックスして行うことができ、参加者約10人で行う指導はよいものでした。Brasvoでの世話人はルーマニアのベテランプレーヤーの一人であるLucretiu Calota五段でした。
◆翌日、12日火曜日に、我々はBucharestへの帰路につきました。今回は前回に比べ天気がよかったので、BrasovからBucharestへの道中、素晴らしい山の風景を楽しむことができました。午後にはBucharestに到着し、夜には西條先生のご出席のもと、私達の囲碁クラブの公式オープニングを祝う小さなパーティーを行いました。この機会を持てたことを、私達はとても嬉しく思い、またメンバー達は我々の旗に先生のお名前が載っているマスターご本人に会ってとても興奮していました。我々は先生によくよくお礼を申し上げなければなりませんし、我々の仲間の一人として先生がいてくださることに感謝しています。
◆西條ウィークの最後の大切なイベントは、翌日BucharestのIon Creanga高校を訪問することでした。Baraさんの橋渡しのお陰で、日本語の先生であるCamelia
Basta先生に指導に招かれました。彼女は、日本文化にとても興味をもっている子供がいるクラスをいくつか担当していて、以前にもいろいろな種類のイベントを企画しています。
彼らはとてもよく準備をしていて、私達はちょっぴり形式ばったしかし大変暖かい歓迎を受けました。
◆90人もの子供達がレッスンに参加しました、というのは教室にはそれ以上の人が入るスペースがなかったからです。子供達は話しを熱心に聞いていて素晴らしいレッスンになりました。これが最も成功したといえるのは、レッスン後に多くの子供が学校に囲碁クラブを創って欲しいと要求をしたことで、囲碁クラブは1月から開始するつもりです。
◆その後、Bucharestでの残りの時間は、囲碁クラブでリラックスした雰囲気のレッスンを行ったり、夜にいくつか面白い活動をしたりして過ごしました。
◆お話する価値があることとしては、日本大使館の文化ご担当の方とミーティングをしたときに、西條先生が彼らに対しルーマニアの囲碁に協力してくれるように懇願してくださったことです。これが我々の将来のプロジェクトに役立つことを願いつつ、西條先生の我々を支援する寛大な取り組みに対して、大変感謝をしております。
◆これでツアーのルーマニアでの週は終わりました。このルーマニアでの反響はとても大きく、早速の結果としては以前にはコンタクトをとっていない2校の学校で囲碁クラブを創ることができたことです。さらに我々のテレビインタビューに関する記事はすでに3度ナショナルポストに掲載され、また多くの新聞が囲碁に関する記事を掲載し、最近では、テレビ関係者から国営テレビで毎週の囲碁レッスン番組を始めないかという申し出を受けました。
◆次の目的地はスイスで10月15日金曜日にチューリッヒへ飛行機で向かいました。飛行場でスイスでの世話人に迎えられ、週末の囲碁セミナーが準備されているスイスアルプスの合間のMechtalという小さな村に直接車で向かいました。車で山道を上って行く途中の風景は素晴らしいものでした。スイスの美しさについては多くのことを聞いていたので、自分の目でそれらを見る事ができたのはとても嬉しかったです。
◆囲碁を打つ場所の雰囲気はとてもリラックスした感じで、驚いたことに、何が進行するのか誰も知らないように見えても、苦もなく準備が整い、私達が間もなくレッスンや多面打ちを始めたいと思えば、またたく間に全てが整えられました。逆に、もし私達が何も言わなければ人々が囲碁を打つのをただ見ていることもでき、きっと誰も私達に何かをしてくれと頼まないだろうと感じました。西條先生は、スイス人の余暇の過ごし方をとても楽しんでいるように見え、この国で過ごす期間は先生が気分よくいられるだろうと思いました。
◆山の中の素晴らしい隠れ家で、約30人のプレーヤーが一緒に食事を準備して食べ、寝て、囲碁を打ち、囲碁に対しての同じ情熱で結びついている親しい交流の中でこの3日間をとても愉快に過ごしました。私達のレッスンを真剣に聞いてくれたこと、協力のお陰でレッスンがやりやすかったこと、そして指導することを楽しませてくれたことを彼らには感謝します。
◆EGFの前会長であり、大変熱心な囲碁プレーヤーであるAlan Held氏の世話のもと、Mechtalからベルンへ向かいました。彼はとても親切なので、翌日は良い気分で過ごすことができ、囲碁を指導したり、街やその近郊を訪れたりして過ごしました。
◆次の移動は、数日後にチューリッヒに戻り、スイスの西部にあるYverdonへと続きました。スイスで私達が訪れた場所はどこでも同じようにくつろいで、のんびりとしていて、そのような生活の仕方がスイス人の基本的な特徴だと思いました。西條先生と私は3週間以上にわたる忙しい移動と熱心な指導をした後ですでに疲れきっていたので、これは私達の肉体と心を休める貴重な機会となりました。スイスでの最後の滞在地Yverdonは私達にとてもすてきな思い出を残しました。数年前にスイスのこの地方に移り住んだというフランス人の囲碁プレーヤーであるMax Millotさんが世話をしてくれました。地元の囲碁クラブであるTempo
Cafeは、お酒を飲み、音楽を聴きながら囲碁を楽しむことができる申し分のない場所でした。従業員はみな囲碁を知っており、みんながいつも笑っていて、また天気が良かったためにカフェの中庭で指導をする事ができ、愉快な西條先生は人々を普段の2倍笑わせていました。そこではほとんどの生徒が西條先生の最もお気に入りである初心者でした。最後の夜には近くのLausanneからたくさんの人がレッスンに参加するために集まってくれました。この楽しい経験によって、プレーヤー全員がもっと囲碁を好きになることを望んでいます。
◆10月23日に私達のツアー最後の国であるフランスに向けて車で移動を始めました。2日間はLyonトーナメントに参加し、解説や多面打ちをしました。そこで、これで3度目となる宿泊地に関してのショックをうけました。しかし、プレーヤー全員が用意されたビル内だけに宿泊していて、その全ての部屋がどれも同じように心地の悪い状態でしたので、やむを得ないことでした。一泊であったことと、早朝からワインを飲んだり、夜遅くまで囲碁を打ったりゲームをするなどのフランス特有の、のんびりとしたスタイルで過ごせたので、その宿泊地の滞在もそれ程悪いものではありませんでした。
◆週末のトーナメントが終了した後に、Lyonトーナメント開催地から車で約数時間の所にある我々のヨーロッパツアー最後の訪問場所であり、子供のためのトレーニングキャンプが行われる場所へと向かいました。フランス人のプロ棋士であるFan
Hui二段(中国出身、Toulouse在住)とPierre Auduardも参加していて、年齢も棋力も異なる14名の子供達が集まりました。それを4つのグループに分けて、それぞれの先生が毎日順番に違うグループを指導を行いました。
◆子供達はみなとても真剣で才能があり、囲碁を打つことをとても楽しんでいたのでこのようなトレーニングキャンプ開催はとてもよいアイディアだと思いました。また、体系的な子供への詰碁テストの実施や、チームトーナメントの実施、また親友のように子供と囲碁を打ったりもするFan
Hui二段とPierreのやり方には感心しました。彼らのアイディアを私達の将来の指導にも適用したいと思います。
◆そこでの4日間の指導の後、私達はパリへ戻り、そこから私はブカレストへ、西條先生は日本へと帰国しました。これで5週間にわたる西條ツアーが終了しました。このツアーがヨーロッパの囲碁界にとって全く新しくそしてとても有益な経験になったことを望んでいます。
◆少ない報酬で大変な任務を引き受けてくださった西條先生の寛大さに、ヨーロッパにおいてこの素晴らしいゲームの普及を手伝う先生のやる気に、そしてその棋力に関係なく生徒全員に対して、ものすごい根気強さと優しさで接することに、深く感謝の気持ちを表したいと思います。ヨーロッパの囲碁プレーヤー全員に代わって心から感謝いたします。ありがとうございました。
◆これで10月のレポートを終わりにします。 |
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