News Release
2006年7月28日


本因坊秀和と大倉喜七郎氏の2名が囲碁殿堂入り



 第3回囲碁殿堂入りを決める「囲碁殿堂表彰委員会」が7月28日、日本棋院にて開催され、本因坊秀和と大倉喜七郎氏の2名が選ばれました。
 有識者、マスコミ関係者、棋士からなる委員14名により、事前にノミネートされた10名の候補者に対して投票により選定を行いました。第1回目の投票においては、規定の票を獲得した候補者がいなかったため、得票者上位3名に対して再投票が行われ、その結果、前記の2名が規定以上の票を得て選出されました。
選ばれた2名に対しては、顕彰レリーフを制作し、来春1月5日の打ち初め式で披露後、日本棋院会館地下一階の「囲碁殿堂資料館」にて展示を行います。

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1. 囲碁殿堂入り決定者の経歴と主な業績
14世 本因坊秀和
本名 土屋俊平・恒太郎
棋格 準名人(八段)
生年 1820(文政3)年
没年 1873(明治6)年
経歴(棋歴) □伊豆小下田(静岡県)出身
□1829 9歳、丈和に入門。
□1842 14世本因坊継承。
□1850 準名人(八段)となる。
□1854 「棋醇」刊行。
□1871(明治4年)家禄を東京府庁に返上。
主な業績 ■1840 井上因碩(幻庵)と争碁、幻庵の名人・碁所願いを阻止する
■江戸全盛期の「囲碁四哲」(元丈・知得・幻庵)の筆頭。
■1859 「名人・碁所願い」を提出するも、時局を理由に延期。
■秀策・秀甫・秀栄ら多くの名匠を育成。
■近世囲碁を完成、かつ近代碁の鼻祖とされる。
大倉喜七郎
生年 1882(明治15)年
没年 1963(昭和38)年
経歴(棋歴) □東京都出身。
□井上孝平、本因坊秀哉、瀬越憲作等の指導を受ける。
  呉清源に三子。
□1924(大正13年) 日本棋院副総裁就任。
□1946(昭和21年) 副総裁辞任。
□1953(昭和28年) 日本棋院名誉総裁就任。
主な業績 ■碁界合同(日本棋院創立)物心両面で貢献。
■日本棋院副総裁として、海外囲碁普及の棋士派遣、招聘を援助。
■日本囲碁規約作成に寄与。
■日本棋院は大倉賞「大倉喜七郎賞」を設け業績顕彰と意志を継承。


2. 今回のノミネート者(含む既殿堂入り者、過去のノミネート者)
※第1回~3回までの囲碁殿堂入り候補者
第1回 第2回 第3回
徳川家康
本因坊算砂
中村道碩
安井算知
安井算哲
本因坊道策
本因坊丈和 本因坊丈和
本因坊秀和 本因坊秀和 本因坊秀和
本因坊秀策
本因坊秀甫 本因坊秀甫 本因坊秀甫
本因坊秀栄 本因坊秀栄
本因坊秀哉 本因坊秀哉
大倉喜七郎 大倉喜七郎
瀬越憲作 瀬越憲作
岩本薫 岩本薫
木谷実 木谷実
呉清源 呉清源
喜多文子
☆;前回までの殿堂入り
第1回特別創設記念表彰:徳川家康、本因坊算砂、本因坊道策、本因坊秀策
第2回特別創設記念表彰:本因坊丈和





【この件に関する問い合わせ】
日本棋院囲碁殿堂資料館:03-3288-8637