囲碁殿堂表彰
第1回特別創設記念表彰
本因坊道策
本因坊道策 ( ほんいんぼう どうさく ) |
山崎 三次郎 |
1645年 ( 正保2年 ) |
1702年 ( 元禄15年 ) |
父・七右門衛門の次男。石見国(島根県)生まれ。 |
1658年 |
江戸へ上り、三世本因坊道悦に入門。 |
1667年 |
御城碁初出仕。 |
1668年 |
三世道悦の跡目。 |
1677年 |
本因坊四世を継ぐ。名人・碁所を推挙される。 |
1687年 |
幕府より碁所証文を授かる。 |
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段位制度を整え、御城碁制度を整備、優秀な師弟を多く育成、近代的な「手割論」を創始。元禄期の隆盛を導く。天下敵なしと言われ、「碁聖」と称えられる。
近世囲碁の基盤を確立し、近代囲碁への展望、飛躍の道を拓いた。 |
本因坊算砂
本因坊算砂 ( ほんいんぼう さんさ ) |
加納 與三郎 |
1559年 ( 永禄2年 ) |
1623年 ( 元和9年 ) |
父・與祐の子として誕生。8歳、寂光寺の門に入る。囲碁の師は堺の仙也。
空中山寂光寺(京都)、本因坊日海。
1592年 権大僧都、1612年 法印。1596年 写本『本因坊定石作物』、1607年 版刻本を刊行。 |
1585・1588年、秀吉御前試合で優勝(他の棋士より先強し)。秀吉より朱印状を授かる。 |
1603年 |
初の天覧碁を打つ(算砂・林利玄・安井仙角・中村道碩が参加) |
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信長・秀吉・家康に囲碁をもって仕える。
第一世本因坊・名人・碁所。近世における囲碁史の開祖。 |
本因坊秀策
本因坊秀策 ( ほんいんぼう しゅうさく ) |
桑原 虎次郎 |
1829年 ( 文政12年 ) |
1862年 ( 文久2年 ) |
備後国(広島県)因島生まれ。父・輪三の二男。 |
1837年 |
江戸に出て本因坊丈和に入門(9歳)。 |
1840年 |
初段(11歳)。 |
1848年 |
六段、十二世秀和の跡目。 |
1846年 |
大阪遊歴中、幻庵因碩と五番打ち(2子局打ち掛け、定先3勝1打ち掛け)で秀策の名大いに挙がる。(耳赤の一手) |
1849年 |
御城碁初出仕(20歳)。
後12年間に御城碁19連勝(黒番11局、白番8局)達成。 |
1853年 |
上手(七段)。 |
1862年 |
享年34歳没。 |
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「秀策流布石」は近代布石の基礎となる。
四世本因坊道策と並び『碁聖』と称される。高潔な人柄、親に孝養を尽くす。
歴史に燦然と輝く業績を残し、ファンに与えた影響は多大。
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徳川 家康
徳川 家康 ( とくがわ いえやす ) |
松平 竹千代 、 1563年 家康に改名 |
1542年 ( 天文11年 ) |
1616年 ( 元和1年 ) |
三河国、松平広忠の嫡子。 |
1563年 |
家康に改名。 |
1587年 |
新城で本因坊算砂と会す(当代記)。 |
1590年 |
江戸城に入る。1600関が原合戦に大勝。 |
1592年から数年間「言經卿記」に数十回以上、碁打衆を呼び宴会・碁会の記事。
「駿府政事録」、「慶長日件録」、「駿府記」「徳川実記」等に家康と囲碁の記述多し。 |
1603年 |
征夷大将軍。江戸開府。 |
1607年 |
駿府に隠居。 |
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諸大名・武将・豪商・公家らと頻繁に囲碁による交流を交わす。
特に浅野長政・伊達政宗・細川幽斎・織田信雄らは家康の好敵手であった。
碁打衆を保護、「御城碁」の基盤を築く。近世囲碁の発展、振興に絶大な貢献。 |
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