アメリカの公立小中学校の子供達に囲碁を教えた結果の報告書
ウイリアム・コブ(国際囲碁指導員)


1996年の2月から3月にかけて私は日本棋院の入門者に囲碁を教えるためのトレ−ニング計画に参加した。このプログラムの一部で私は安田先生にお会いし、彼が子供達にポン抜き碁を教えているところを幾つか訪問した。私は子供達に囲碁を紹介する手段としてのポン抜き碁に強く印象ずけられ、アメリカへ帰国してからこれを広く推奨した。今やアメリカでは、多くの学校で大勢の子供達にポン抜き碁による囲碁の紹介がなされている。囲碁はその結果として米国でより広く知られ又打たれるようになったばかりでなく、安田先生が既に自分自身経験している様に我々も又子供達に囲碁を教える事により彼らがそれ以外の恩恵を受けることを経験している。それは即ち、碁を打つ中に含まれる種々の知能的技術を獲得するという明らかな利益に加えて、囲碁を習うということは多くの子供達が、個人的、社会的或いは感情的問題を克服するのにもまた助けになっている。この結果米国では、生徒に囲碁を教えるプログラムを始めようとしている学校の数が急速に増加している。

 私が囲碁を教えた学校でまず最初に先生たちが注目したことは、碁を打つことを教わった生徒達がそれ以後総ての種類のテストに、通常以前より良い結果をだしたことであった。我々はこれは、碁を打つということが、自分の眼前にある問題が碁盤上であろうと試験用紙上であろうと、もっと注意深く集中することを教えたからであろうと考えている。生徒達はまた、結果を分析したりあらゆる可能性について考えてみるより良い能力を発展させて行くことによる恩恵を得る。私はこのレポ−トに生徒達がこの種の利益を受けていることを示す記録を証拠として添付した。

 我々が注目したもう一つの恩恵は、個人的、社会的または感情的問題の分野である。生徒達の中で特に内気で引っ込み思案で他の生徒と上手く付き合えない生徒がしばしば、碁を習ってから積極的に人付き合いをする様になった。この良い例として私のクラスに、ロバ−トという名の少年がいた。ロバ−トは殆ど一日中床を見て過ごしていた。彼は通常他の生徒達に無視され、他の子供に積極的な態度を取ることは決してなかった。教室で碁を打ち始めても、ロバ−トは相手なしに長い間座っていることがしばしばであった。しかし、彼はなかなかゲ−ムが上手で、ほどなく彼は他の生徒に自分とゲ−ムをしないかと近づく様になった。2〜3週間後にはロバ−トは他の生徒にもっと自信をもって近づく様になり、何時も下を見ているのを止めた。競技会でも彼は高得点を得て、他の生徒達も彼に話掛け、普通に付き合うようになった。

 特別に学習不能の生徒が囲碁を習うことにより、大変助けられた例は多くある。即ち この結果として日常の生活姿勢の問題が解決され、同時により良く勉強が出来る様になるのである。私が碁を教えた学校の中で小さなクラスにこんなグル−プの子供達がいた。その子供たちは最初私が碁を教え始めても殆どが無関心で何にも興味を持たない様だった。中にはクラスの中で騒いでどうしようもない子供達もいた。このクラスが結果として子供達に囲碁を教える驚くべき効果の好例となったのである。

 このクラスで囲碁を始めてから全く劇的に勉強の状況は改善されたし、更に印象的なのは彼らの個人的社会的分野の改善である。ある生徒、ステファンというのだが、は学校中で一番態度が悪いと見られていて、何かして誉められるという事のなかった生徒が、いちばん碁の上手い生徒の一人となった。彼は座って静かに碁を打つばかりで無く、他の生徒により良く習えるように手助けをしたのだ。彼の先生達はステファンがこんな前向きな行動を取ることに驚いた。テイモジ−という生徒は問題を持つため、読むことが殆ど出来ず、従って勉強は駄目だったがこの子も又非常に良い碁プレ−ヤ−になった。彼にとって初めてテイモジ−は殆どのほかの生徒より頭をつかうことで勝れていることを見出いだした。彼は囲碁に極めて熱心になり、この熱心さは彼の他の活動に広がっていった。この夏彼は、かれの様な問題を持っている子供達の為の特別キャンプに参加出来る奨学金を獲得した。この種の社会的行動改善が広く見られることから、この学校ではこの種の問題を持つ子供達のカリキュラムの一部に囲碁を含めることを継続している。

 私が一番初めに学校で囲碁を教えたのは14才の生徒のグル−プで、彼(彼女)達は特別日常の態度が悪く、しばしば学校へ来ないこともある生徒達だった。私は彼らに碁を教え始めた時はそんなことを知らなかったので、彼らが静かに話をきき、プレイに集中し、いつも碁のある日には出席することに、一つも驚いたりしなかった。しかしながら、学校の側はこれに注目した。ある日学校長がクラスへやって来て何が生徒達にこの様な変化を齎らしたかを見た。亦、両親のなかには何が子供に大きな影響を与えたのかを見たくて教室を訪問する人もいた。   生徒達を動機ずけて一般的な改善を齎らす囲碁の力も亦、全く衝撃的だ。あるクラスにドウカンという少女がいた。彼女は明らかに賢いのに、ようやくテストをパスすることで満足していた。しかし、彼女は囲碁が好きで、殆どの他の生徒を負かせることに気付いた。程なく、彼女は囲碁以外のことでも平均以上になりたいと思う様になった。その年の終わりの碁の大会で彼女は優勝し、学校の成績はAを沢山とった。

 子供達が囲碁を習うことによるこの種の恩恵の例は、私の教室でばかりではないのは勿論のことである。ミシガン州のアナ−バ−の先生からの報告がここにある。サ−シャ・オアは公立学校の5年生の受け持ちだが、彼は1997年秋のAmerican Go Journalに二 人の生徒について書いている。   "囲碁は明らかに平均的算数好きの子供が魅力を感じるものだが、私の経験では囲碁は亦、特殊学級の生徒(即ち学習に特別の困難を持つ子供)の多くの子供にも非常に受け入れられ易い本来の性質を持つことが判った。

 "こんな生徒の一人のレニ−は非常に親切な子供だったが彼は明らかに学習不能及び 集中欠如症と診断されていた。レニ−は私が隣に座って励ましたり一寸助言したりすると上手くやるのだが、一人にしておくと殆ど何も出来なくなってしまう。彼は文字どうり学校にいることをしばしば忘れるので、それを思い出さすと又暫らく間は元にもどる。

 "レニ−は学業の成績に自分自身腹を立てていた。小学校の6年間彼の成績は総ての科目でクラスの中で最低のレベルになっていた。それでレニ−は元気をなくし、学校中を下を向いてとぼとぼと歩いていた。

 "私が5年生のクラスに囲碁を教え始めた時、レニ−はすぐにこれが好きになった。最初は彼は入門者としては普通のレベルであったが、その年のうちに他の生徒を追い抜いて行った。そして程なくクラスの一番強い数人と同じくらいになった。彼は仲間達の注目を集めた。彼は皆んなに負けるレニ−ではなく、注目されるレニ−になっていた。

 "レニ−はときには寄せの結果を読み切ることに苦労していたが、布石や中盤での理想形を認識する力が強かったので終盤で多少の損をしてもゲ−ムを勝ことが出来た。

 "年末には、レニ−は負けることはなかった。彼は5年生90人の総てを打ち負かし5年生チャンピオンになった。彼は顔を上げた。かれは自分自身を見い出だしたのだ。レニ−は碁盤上が複雑になってきても、碁石の作り出す形をよく認識することの出来る隠れた才能があって、これは教室での教科を學ぶ場では分からなかった。囲碁によって、彼は自分自身を主張することの出来る松明を高く揚げることができた。

 "もう一つの心を打つ話はアルビンについてで、彼は数学や科学に素晴らしい子供だったが、学校での態度といえばひどい乱暴者だった。先生の中でアルビンを知らない人は無かった。彼は教室中を走り回り止めようとする人を無視し、大人が強く叱ると叫び返したりクラスメイトを鉛筆て突いたり、誰にでも敢えて彼に生徒らしくする様に言う人に対しては、睨み付けたり嘲ったりした。アルビンは「感情損傷」症だった。私は彼が初めて私の囲碁クラスに入る時はきつく手綱を締める様に忠告されていた。私は初めての生徒と出会う時にはその子供の可能性について既に聴いている偏見を極力なくしてその子との関係を始めようと努力していた。それ故私は同僚の忠告を無視し、アルビンに新しくクラスに来た生徒として扱った。

 "彼が私のル−ルを壊し始めた時、私はかれが必要としているもっと何かすることを与えることにした(何故ならかれは明らかにそれを探していたのだ)。私はその時既に、彼はコンピュ−タ−が大好きなことに気付いていたので、彼をクラスのマッキントッシュの係にした。彼はすぐにパソコンに精通し、恰も自分の言語を話すように楽々と囲碁とパソコンを関係付けた。我々がインタ−ネットで碁を打つようになった時、彼はもう仲間達が助けを求めるような専門家になっていた。

 "ある日、私はアルビンがインタ−ネットで碁を打っていて、相手にスペイン訛りのアメリカ俗語で荒々しく呼び掛けているのを見つけた。私はすぐに止めさせて、インタ−ネットの礼儀を教え、彼が我々の学校を代表する立場にある責任を強調した。私は判っていたのだが、この様に強調することが(彼を罰するのでなく)更に彼に何かをやってもらうという私のアプロ−チの方法で、アルビンを建設的な道筋に一番良く導くものだった。

 "クラスを代表しあたかも大使になることが、彼に強く訴えた。彼のインタ−ネット の態度がすぐに私の期待通りになったばかりでなく、私は或る日彼が友人の女生徒がインタ−ネットの相手に不適当な言葉を使うのを聴いて、席から飛び上がった。(彼はいつもコンピュ−タ−のすぐ近くに座っていた。)彼女の相手を傷つける言葉は、発信前に取り消すことが出来た。そして彼は彼女に、私が一週間前彼に指摘した点を殆ど私の言葉どうりに素早く講義したのだった。

 "アルビンのインタ−ネット碁に対する情熱は彼に新しく為すべき役割を与えた。以前誰かれなく鉛筆で突っ突いていたアルビンは、自分自信イメ−ジチェンジし、そしてそれ故にクラスの友人達との関係も変わった。彼は道徳的な競技者の象徴の好例として、インタ−ネット上で取るべき良い態度のモデルとなったのである。

 以上が囲碁を学んだ子供達に与えた驚くべき影響を、私の多くの経験の中から幾つかを例として述べたものである。私はこの様な素晴らしい実践方法を示してくれた日本棋院と安田先生に、深甚なる感謝を表すものである。

翻訳責任 日本棋院 海外室
森田 純穂