マリナ



 北イタリアでは、日本人家族が2千所帯程いるらしい。
イタリアに限らず、海外に住みついている日本人は個性の強い、変わった人が多い。日本では居づらいだろーなこの人は、と思わず言いたくなるような、そんな人。もちろん自分も含まれている。
そんなこんなの経験上、日本人と会うと身構えてしまうクセがついてしまった。

「チャオ、マダム!」
 人もまばらな昼下がりのスーパーマ―ケット。突然の明るい声に振り返れば、マリナが自分の身体にはそぐわない大きな買い物駕篭を下げ、野菜売り場の端から駆けてきた。
お父さんがフランス人で、お母さんは日本人の彼女。目も髪の色も黒々として、ひがみでも何でもなくて鼻の高さも日本人並に普通だから、長いまつげを除けばどこから見てもオリエンタル。生まれはアメリカで、今はここミラノに住みインターナショナルスクールに通う2年生だ。

「今日は一人?」
 ちらっと辺りを見回しながら、彼女に聞く。私は彼女のお母さんが苦手だ。
「ノン!アンナと一緒。お母さんは、ア、カーザ(家)」
見た目は丸々日本人でも、ひとたび口を開けば完璧バイリンギャル。フランス語とイタリア語と日本語を巧みに使い分け、学校で英語も習っている。私も自己流ミックス語には自信があるけれど、とても彼女にはついていけない。

 日本並みに出生率の低いイタリアで、4人姉妹の次女であるマリナ。私と同じ年のお母さんは学校への送り迎えや他の子の世話で忙しく、お手伝いさんと二人で買い物に来たらしい。彼女と私は時々ここで顔を合わせる、隣街に住むご近所さんなのだ。

 どうも碁をやっている人は数学に強い、と思われたか?
以前に一度、彼女のお母さんから”マリナの割算の勉強を見てもらいたい”と、頼まれた事がある。
たしかに理数系に強い人に碁好きな人が多いのは事実だけど、碁が強い人が理数系に強い、と言うのはどっか違うような気がする。でも、まあ、何となく褒められた様で悪い気はしない。小学生の割算ぐらい簡単だわ、とついつい調子に乗り引き受けてしまったのが、災いの元。

 その日、マリナは一人颯爽とマウンテンバイクに風を切らせて我が家に現れた。彼女お気に入りのキチィーちゃんがデーンと中央に張り付いた、ピンクのリュックから出した算数の教科書を開けて驚いた。
割算の方法が違うのだ。ヤマダレみたいな計算式は使わないし、記号だって私の知っている÷じゃなくて、イタリアは:なのだ。まさかのまさか!目が教科書に吸い付いて離れなくなった。

実は私ではなくイタリア人の、うちのダンナを当てにして彼女のお母さんは私に頼んだのだ、とその時になって気付いたが、時すでに遅し。肝心の彼はお出かけ中。
「今日は日本の子供が良く遊ぶ、算数ゲームをしよう!」ここでめげてはいけない。

そそくさと算数の教科書を脇に押し退け、9路盤を取り出し仕切り直す。
彼女がどれ程喜んだかは、想像するに容易だろう。なんたって、勉強よりゲームの方がずっと楽しい。おまけに日本語の勉強よ、と言って見せた”ヒカルの碁”にもすっかりはまって、約束の時間を過ぎても帰ろうとしない。しぶしぶ立ち上がった時には、辺りはもう暗かった。

 その後日、どれだけお母さんにイヤミを言われたか、こちらも想像するに容易だろう。
何しろ割算の勉強が、ゲームとマンガに化けてしまったのだから。
「また算数ゲームしてね」ニコっと笑って、マリナが言った。エクボが出来た。

 どこの国の子もとってもかわいいのに、どこの国の大人も、どうしてこうも変わってしまうのか、、、。と、私も言われているに違いない。