視覚障害囲碁


 日本視覚障害囲碁普及会、という名を初めて耳にしたのはちょうど5年前の事。世界アマ囲碁大会で帰国した際、その大会の審判でいらした関西棋院9段、森野節男先生に教えて頂いたのがきっかけだった。森野先生は9年前からこの会の代表として、多方面にわたり活動されている。

 読んで字の如く、視力の不自由な方もそうでない人も共に囲碁を楽もう、という集まりである。と、言ってしまえば簡単だが、実際はそうそう簡単な話ではない。まず、手で触って黒白を判断できるような特別な盤石が必要だ。普及会では主に9路盤を使い、特別製の表面が凹凸した碁石で対局。また指先で石を確認する際にずれないよう、石ははめ込み式になっている。

 教え方は相手の手をとり、凹凸碁盤の面を触りながら指先で覚えてもらうのが第一歩。
”これが地でねー”と、言ったところで理解してもらえないのだから。
私も何度か挑戦したが、普段使わない指先の神経は自分でもどかしくなる程言う事をきかない。9路盤というのに碁どころか、どうにもならないのだ。器用に操る方々を見るたびに、ただただ、感激するのみである。

 太っ腹な森野先生にはそれ以後、視覚障害者用普及9路盤をダダーッとイタリアまで送って頂いた。随分と送料がかかって大変だったと思われるが、その分税金もしっかり取られたのはやはり5年前。
その当時、私のイタリア語力は税関と渡り合うには程遠く、電話口で一方的に言い負かされてしまった。どうも新手の商品と思われたらしい。
 さてさて、機会あるごとに欧州各地に配ったその9路盤もいよいよ在庫が底をついた。
折しも帰国の最中に全国視聴覚囲碁大会があると聞き、新たなる催促のお願いを胸に秘め、早速見学に伺う事に。

 会場は大阪、北浜のコニシホール。関西地区の盲学校や福祉グループの皆さんを中心に、小中高校生、一般の人も参加して100人程。それに加え介助の方々にスタッフ、取材陣、と大賑わいなのになぜか会場はとても静かで、穏やかな空気に包まれていた。

5年目になるこの大会、9、19路盤による交流対局をメインに、今回初めての日韓全盲チャンピオン同士による名人戦、電話を使っての遠距離対局など、盛り沢山の内容だ。
韓国チャンピオンのSongさんと昨年この大会で優勝し日本代表になった中丸さんは、共に高段者。スイスイと快調に石を運ぶ、まさに神業だ。
9,19路盤と2度による決戦は、一勝一敗の引き分けで、嬉しい交流になった。
韓国チャンピオンのSongさんと、日本チャンピオン中丸さんとの名人戦は、19路盤はSongさん、9路盤は中丸さんの勝利で仲良く一勝一敗に。
地方在住の視覚障害者同士、電話を使っての遠距離対局もありました。 オペレーターの女性が中継ぎ役となり、双方の手を聞き伝えながら対局。 ついつい、励ましの言葉も出てしまうとか、、、、


 この日、私は小学生の双子君と友達になった。一人は分厚い眼鏡をかけ、もう一人は見えてない感じがした。
囲碁を始めたばかりの彼ら、石を取り上げるたびに、勝つたびに、もう嬉しくて嬉しくてたまらない!てな顔をしてくれる。ついつい気を良くして負け続けていたら、
「おばさん、しっかりな。」
と、励まされる始末。いよいよ嬉しそうである。

楽しい対戦が終わって会話が途切れた瞬間、見えていないであろうと思われた少年にスッ、と両手を掴まれた。小さくてポチャとした暖かい手。
ドキッとする間もなく、今度は腕を。彼なりに私の事を知ろうとしているんだ、と気付くのに数秒かかった。
それからゆっくりゆっくり
何かを確認するような感じで、
「また、やろな」
はにかんだ笑顔を私に向けて、少年が言った。胸が熱い。
「うん、またやろ。今度は負けへんで!」
とってつけたような関西弁で心の動揺をごまかしながら、彼の小さな手を握り返した。
あの日以来、今でも忘れなれない貴重な経験だった。

 来年も6月頃に開かれるというこの大会。私も是非またおじゃましようと、心に決めている。
インターネットのホームページで、詳しい情報が得られます。(英文もあります)
http://www7.ocn.ne.jp/~sgo/
ここから入って、日本視覚障害者囲碁普及会へ。
視覚障害者用の19路盤 こちらは和歌山盲学校の先生による、手作り19路盤。
完成するのに一年ほどかかったそうです。